
謄写版とは?
謄写版は、日本では「ガリ版」とも呼ばれます。世代によっては、こちらの方が親しみのあるひとが多いかもしれません。米国の発明王トーマス・エジソン(Thomas Edison)が19世紀後半に考案した仕組みがもとになっています。エジソンの特許に基づいて、シカゴのA. B. Dick社が「Mimeograph(ミメオグラフ)」という名前で1887年に製品化しました。日本でも同様の機構を持つ製品が「謄写版」の名前で発売されます。現代の複写機(コピー機)の元祖といえる機器です。
「素人が版を作れる」ことが、出版文化の形を変えた
謄写版(ガリ版)の歴史的な意味は、印刷技術として効率的だった以上に「専門の職人でなくても版を作れる」点にあります。これが、20世紀の日本の出版文化を大きく変えました。
それまで印刷物は、活字を組む職人、印刷機を操作する技師など、専門スキルを持つ人々の領域でした。一方、ガリ版は鉄筆と原紙さえあれば、誰でも自宅で「版」を作れる技術です。これによって、学校の先生が手作りプリントを配る、サークル員が同人誌を発行する、政治運動の機関誌を作る、といった「個人や小グループが情報を発信する」流れが生まれました。
これは、現代のWebやSNSが「情報発信を民主化した」のと、構造的によく似ています。技術が一般市民の手に渡ると、それまで限られた人々だけが担っていた表現活動が、誰でも参加できる活動に変わります。ガリ版は、この民主化の波を20世紀前半にすでに起こしていた技術として、デザイン史の中でもう少し評価されてもいい技術かもしれません。

謄写版は本格的な印刷に比べて安価で使いやすく、学校のプリントや社内の資料から、文芸誌や政治活動まで社会のさまざまなシーンで広く利用されました。活用の仕方は現代のコピー機に近いといえるでしょう。実際、英語では「ステンシル複写機(stencil duplicator)」とも呼ばれます。また、Mimeographは商標でしたが、のちには普通名詞化し、謄写版全般が「mimeograph」または縮めて「mimeo(ミメオ)」と呼ばれるようになりました。
謄写版の印刷の原理
表面にロウを塗った「原紙」に、文字や画像を直接描いて版とします。描画した部分はロウが削られます。原紙をメッシュのシートに重ねて、印刷用紙の上に置き、その上からローラーなどでインクを塗ると、ロウが削られた箇所だけインクが押し出されて印刷されるという仕組みです。
原紙への描画には鉄筆が使われます。ヤスリ盤の上に原紙を置き、鉄筆を強く押しつけるように線を引くと、ヤスリによって細かい孔があき、そこをインクが通り抜けます。ヤスリの上で鉄筆を動かすときの音から、日本では「ガリ版」と呼ばれるようになりました。

謄写版は孔版(こうはん)という手法を利用して印刷します。印刷方式は、凸版(とっぱん)、凹版(おうはん)、平版(へいはん)、孔版の4つの種類に大きく分けられます。孔版は簡易な方式ですが、大量印刷に向きません。そのため、孔版印刷以外を印刷の三大方式とすることが一般的です。
輪転謄写機と製版法の進化

世界で初めてA. B. Dick社が発売した商品は、発明者にちなんで「Edison-Mimeograph(エジソン=ミメオグラフ)」という名前でした。これは、謄写器、鉄筆、ヤスリ盤、原紙、修正液、インク、ローラーなど一式が木箱におさめられていました。謄写器は平らで、ローラーを手で動かしてインクをつけます。
その後、原紙とスクリーンを取り付けたドラムを回転させて印刷する輪転謄写機が登場しました。その後、電動輪転謄写機が開発されるなど、様々なメーカーが競うなかで進化していきました。
製版するときは、日本ではもっぱら鉄筆を使って手書きしましたが、欧米では文字原稿はタイプライターを使っておこなうのが一般的でした。鉄筆のかわりにボールペンが使えるボールペン原紙や、普通の紙に鉛筆やペンで書いた原稿や印刷物を電気的に原紙に複製する電子謄写製版機なども開発されます。謄写版は、1980年代に複写機が登場するまで広く利用されました。
Mimeographから謄写版へ
万国博覧会を視察する目的で1893年にシカゴを訪れた堀井新治郎は、A. B. Dick社のMimeographに出会います。手軽な印刷技術の必要性を感じていた堀井は、帰国するとMimeographを手本にして、日本の事情に合う印刷器具を作成しました。
1894年に「謄写版」の名前で発表し、翌年には特許を取得します。特許権、意匠権、商標権などに関するパリ条約に、日本がまだ加盟していなかったのでこれが可能でした。
ミメオ革命とガリ版文化
謄写版は、原紙とインク、謄写機と印刷用紙があれば、特別な知識やスキルが不要な印刷手段です。
米国では1960年代から70年代にかけて、謄写版を使った文芸出版が盛んにおこなわれました。「ミメオ革命(Mimeo Revolution)」と呼ばれています。既存の社会のシステムや規範にとらわれず、自由にアート表現をおこないたい若い作家やアーティストにとって、自前で印刷できる謄写版は強い味方でした。
日本でも、学校のプリントや問題用紙、文集づくり以外にも、映画や演劇の台本、同人誌、歌集、楽譜、学生運動のビラなどで活躍しました。謄写版は、さまざまなシーンで情報の共有、伝達を可能にした身近なメディアでした。
謄写版独特の「不完全な質感」が、現代でも参照され続けている
ガリ版で印刷された紙には、独特の質感があります。インクのかすれ、紙の繊維との滲み、文字の不揃い、版面の傷。これらは技術的な「未熟さ」とも言えますが、同時に「機械では作れない人間味のある表現」として、現代のデザインで意図的に参照されることもあります。
近年の「ガリ版風」「リソグラフ風」と呼ばれるデザイン表現は、まさにこの不完全さを再現する試みです。同人誌の表紙、ZINE、アーティストのポスター、ブランドのキャンペーンビジュアルなどで、わざとかすれた印刷風の質感を加える例が増えています。完璧に整ったデジタル印刷物が普及したからこそ、「あえて整っていない質感」が新鮮に映るようになっています。
これは活版印刷やシルクスクリーンの再評価と同じ流れの中にあります。デジタル時代に「人の手が関わった証拠」「物理的な印刷の痕跡」が価値として再評価されている、という大きな潮流の一部として、ガリ版的な表現も現代の選択肢に戻ってきています。歴史的な印刷技法を知ることは、こうした表現の引き出しを増やすことにもつながります。
「デジタル印刷機」は進化したガリ版
謄写版をデジタル化した「デジタル印刷機」が1980年代なかばに登場しました。製版の段階を省略して、デジタルデータからダイレクトに印刷をおこなう印刷方式を「デジタル印刷」といいますが、ここで紹介する「デジタル印刷機」は、それとは別のものです。
デジタル印刷機では原稿をスキャナで読み取って製版します。内蔵されたドラムを使ってインクでイメージを転写します。機器の外観は複写機(コピー機)に似ていますが、版を作ってインクで高速に何枚も複製する「印刷機」です。
「デジタル印刷機はガリ版の延長」という捉え方
記事で「デジタル印刷機は進化したガリ版」という表現がありますが、これは単なる比喩ではなく、技術系譜として正確な見方です。両者の構造的な共通点は、デザインや印刷を考えるうえで知っておく価値があります。
共通点は、「版を作って、そこにインクを通して、紙に転写する」という基本構造です。複写機(コピー機)はトナーを直接紙に転写する方式で、版を介しません。一方、デジタル印刷機(リソグラフなど)は、デジタルデータから即時に版を作り、版にインクを通して紙に印刷します。これはガリ版の電子化版と言える構造です。
この違いが何を生むかというと、「枚数が増えるほど1枚あたりのコストが下がる」というスケールメリットです。複写機は1枚ごとにトナーを使うので、100枚も1,000枚も1枚あたりのコストはほぼ同じ。一方、デジタル印刷機は版を作る初期コストがかかりますが、版を作ってしまえば後は高速で大量印刷できます。両者は似ているようで、運用上は別の使い分けが必要な技術です。版の有無、という基本構造の違いを理解しておくと、用途に合った印刷方法の選択がしやすくなります。
【参考資料】
・Mimeograph – Wikipedia (https://en.m.wikipedia.org/wiki/Mimeograph)
・Mimeograph | printing technology | Britannica (https://www.britannica.com/technology/mimeograph)
・謄写版 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/wiki/謄写版)
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