デザイン活動を行なっていると『ブランディング(branding)』という言葉を耳にする機会が多くあります。商品やサービスを購入したり利用したりする消費者・利用者に、品質の良さや価値観の認識、また使い勝手の良さを等、「目に見えない魅力」を様々な方法で生み出すことがブランディングです。
商品・サービスそのもの自体の「アイデンディティの確立」から始まり、どんな商品・サービスの形を目指しているかを明確にする「ブランド・コンセプトの設計」、そしてその商品・サービスを利用するのはどのような顧客層なのかを仮定した「ターゲット層の想定」と、ブランディングを構築するには数々のステップや手法があります。ブランディングの中で大きな役割を持っているのがデザインです。
もちろん、いかにその製品の品質が高いか、使い勝手が消費者の意図にかなっているか、が商品の価値を高める重要な要素であることは間違いありません。しかし、知っているロゴデザインを持っている製品と見たことのないロゴの製品があったら、知っているロゴの製品を購入する消費者が多いのが現実です。また、知らない商品と初めて出会った時、そのパッケージデザインが素敵だったら、買ってみようかなと思われることはありませんか。消費者と商品を繋ぐ大事な架け橋の一つとなるのがデザインなのです。
ブランドをデザインするのに、ロゴやパッケージ、名刺などのデザインをただ単におしゃれでかっこいいものにする、というのは短絡的な発想かもしれません。確かに魅力的なデザインを作り上げることは重要ですが、本来のブランド構築にとってはそれだけでは不十分です。ブランディングを手がけるデザイナーが、その商品の価値を深く知り、その商品がもたらすビジネスのあり方を深く追求しつつ、経済的な効果をもたらすための視覚的なデザインに表現していくことがブランディングの成功には必要な条件です。
今日は、デザイナーとして活動する前に大学で経営学とブランドコンサルティングを学んだという経歴をもつ、『the nineteen .』のDmitry Gerais 氏の作品を見ながら、ブランド構築に何が重要なのかを考えてみましょう。※記事掲載はデザイナーの許諾を得ています。(Thank you, Dmitry !)
Dmitry Gerais 氏は1979生まれのロシア、モスクワ出身のデザイナー。グラフィックデザインを主流に、ブランディングデザイン、Webデザイン、アートディレクションを国際的に展開しています。彼の作品の基盤となっているのが、その経歴です。
1996年から2001年にかけてモスクワにある National Research University Higher School of Economics という経済を主とした大学に在籍し、経営マネージメント・管理を学び、学士を習得しました。一般的にデザイナーというと、デザインや建築、また、美術系の大学や各種学校を卒業した方が多い中、彼のように経営学を学んだ後にデザインの世界に入るデザイナーは非常に稀有な存在です。
彼はブランディングデザインをするにあたっての信条として、「クライアントのビジネスに沿いながら、自分自身の感情と人々が体験するであろう(商品やサービスに対しての)印象を共に高めていくこと」と述べています。また、「全てのプロジェクトにおいて、プロフェッショナルで正確なコンセプトを想定し、時にはある意味皮肉なアプローチをブランディングに組み合わせること」を自身の制作の進め方の方針としています。
レストランのアイデンティティを伝えるロゴデザイン
ここでロシアのウラル地方のエカテリンブルク(Ekaterinburg)にあるパブ・レストランGastroliのブランディング/ロゴ作成事例を見てみましょう。
まずロゴデザインを一目見て気づくのはウサギをモチーフにしていることですね。このブランディング・プロジェクトの発端となったのがこのレストランのコンセプトを物語る次のフレーズからでした。
「アリスはキッチンで、ウサギ料理を調理しているウサギに出会った。」
お馴染みのルイス・キャロルの名作、『不思議な国のアリス』をアイロニックに引用し、自己犠牲をしてまでも来店してくれたお客さんに記憶に残るような、グルメの本質を追求した食材を提供するレストランである、という意味です。
2014年に設立したDmitry Gerais氏が運営するデザインスタジオ『the nineteen .』は、『ウサギ料理を調理するウサギ』をキーワードに、ブランディング展開を試みました。
メインのロゴマークには、お鍋をかき混ぜているウサギをシンプルにシルエットで表現。パッケージ用のペーパーやワインのラベル、コースター等、レストランで使うアイテムには、美しく繊細に書き込んだ立体感を持ったイラストレーションを採用。
どことなくレトロな雰囲気を醸し出しつつ、きめ細かくデザインされたこのイラストレーションは、グルメとは何かを深く追求し、丁寧な調理でお客さんへ提供してくれるレストランに違いない、というメッセージを顧客に発信する、レストランのアイデンティティを形に表したものとも言えます。
一般的に、 親近感のある動物のモチーフ(この場合はウサギ)は、見る人(顧客)に対して精神的な距離を縮める効果を持っていますが、このGastroliのロゴマークもその効果を抜群に発揮している一例でしょう。
兄弟店舗のポジションをロゴデザインの違いで表現
次はモスクワのレストラン・ワインバー『Brix』と『Easy Brix』です。
Dmitry Gerais氏は2012年から2014年にかけて、モスクワの中心部に位置し、市内で最高のワインセラーを誇り斬新なメニューを提供するスタイリッシュなレストラン・ワインバー『Brix』、『Brix II』のロゴマーク、ストリート・サイン(標識)、Webサイトなど、このレストランのアイデンティティを確立するためのブランディングデザインを手がけました。
ロゴマークはセリフ系書体をベースに、装飾を施して仕上げています。「食事も楽しめ豊富な良質なワインを提供する革新的なワインバー」がこのレストランのコンセプトですが、この正統的なロゴは、革新的でありつつも間違いのないサービスを提供してくれるレストラン、という安心感を生み出しています。
2015年、Dmitry Gerais氏の友人である『Brix』経営者が、『Brix』の二店舗目に当たる『Brix II』の アイデア、コンセプト、そして名前の変更をすること決めました。再度Dmitry Gerais氏に新しいブランディングを依頼して、出来上がったのが『Easy Brix』です。
従来の『Brix』レストランの明確な弟的存在な位置づけとなったこの『Easy Brix』は、名前の通りシンプルでありながらも、良質な炭を使ったハイクオリティなグリル料理や、『Brix』同様に豊富な良質のワインを提供し、それをリーズナブルな価格で楽しめるということをレストランのコンセプトに設定します。
Dmitry Gerais氏率いるthe nineteen . スタジオは、この新しいレストランのブランドアイデンティティを一目でイメージできるロゴタイプを制作しました。
『Easy Brix』のロゴデザインは、一軒目の『Brix』のロゴとは異なる、シンプルでぱっと認識しやすい洗練されたサンセリフ系の書体と共に、自由であり気軽さをイメージさせる手書きのスタイルを組み合わせたもので構成されています。まさに、多くの人に気軽にワインを楽しんでもらいたいという意図に適った、レストランのコンセプトを反映したロゴマークです。
カラー展開もシンプルなモノトーン展開となっています。ロゴと一緒に制作されたワインやフォークをモチーフにしたイラストレーションも、ワイン・ドリンカーの白黒写真を加工して作られ、非常に興味深いデザインです。
既成概念に捉われない、伸びやかな企業ロゴ作成例
次は、ブランドアイデンティティ計画から印刷まで一貫して手がけた、マーケティング・広告・アウトソーシングのサービスを提供する代理店Big Machine社のブランディング・プロジェクトです。
このプロジェクトの核となったのは、「マーケティング・広告・アウトソーシングといった主要な業務をシンプルで魅力的なゲームを実践するようにこなすシャープで明快な企業」という企業イメージの構築です。基本ロゴはBig Machineの『B』と『M』の頭文字を採用した『Bm』。『B』字の横線を思いっきり伸ばしたこのロゴから、速い動きで目的に向かって直進しているという企業メッセージが見られます。
シンプルでかつパリエーションに富んだカラー展開も、Big Machineが豊富な分野で対応できることを示唆しているようです。二色を組み合わせたそれぞれの配色パターンは、お互いの色が視覚的に調和できるように、それぞれの色の彩度や明度を細心に考慮され、一見しただけで目を引く最大の効果をもたらしています
前衛的なシェフの考えを反映した、ビストロのロゴマーク
こちらはシェフ Andrey Ryvkin 氏が経営するモスクワのビストロ『United Kitchen』のブランディング・プロジェクトです。
ロシアのグルメ界の牽引者でもあり、ロシア料理のプレゼンテーションを数々の国際的な舞台で繰り広げているRyvkinシェフのオープンキッチンビストロは、小さいながらもリーズナブルで良質な料理を提供し、とりわけ豊富な種類のサンドイッチはモスクワ市内で最高のものとの定評があります。Gerais氏は、Ryvkinシェフの食に対するシンプルで前衛的な考え方を基盤に、ブランディングデザインに取り組み始めました。
メインのロゴデザインは、料理人の宝とも言われる包丁のイラストレーションを採用。
この包丁イラストレーションのシルエット内に記載するレストラン名の表記に至っては、筆記体で構成されるものや『United Kitchen』のアルファベットを大きさや並び方を変えて構成したもの等、何点かの案を作成しましたが、結局、シェフの創り上げる料理のように潔く認識されやすいイメージを持つ書体(この場合はサンセリフ系の書体)に決定されました。
モノトーンで構成されたこのロゴマークは、まさにRyvkinシェフが創り上げる食の世界や彼の食への考え方を凝縮しているグラフィックデザインです。
このプロジェクトはまだ進行中の段階で、いろいろな事情のため、ロゴマーク以外のその他のブランディング・アイテムがまだ完成していません。ブランディング構築の完成にはもう少し時間がかかりそうですが、全て完成した暁にはGerais氏のキャリアを代表する大切な作品の一つになるのは間違いありません。
たくさんの意味を含ませたレストラン&バーのロゴ作成例
『Winil』は、ワインのソムリエMikhail Volkov氏によって作られたレストラン&ワインバーです。
Winilという名前は『Wine(ワイン)』のスラング(俗語)と『Vinyl disks (レコード)』のスラングを掛け合わせてできたものです。「心地の良い音楽を楽しみながら、ソムリエVolkov氏のおすすめの本当のワインを試飲できる隠れ家」であることを意味しています。
ヨーロッパのフランス・イタリア産のワインに焦点を当て、なかなか手に入らないワインも含め実に厳選された豊富なワインリストも、このレストラン&ワインバーの特徴の一つです。ワイン愛好家にとってはもちろんのこと、ワインを知らない人たちにもワインの美味しさやワインの奥深さを体験でき、ワイン好きにさせられるまたとない場所、とモスクワで大変評判のお店です。
個性的なアイデンティティの確立や顧客獲得を、グラフィックの視点から支援するコンサルタント業務に専念しているthe nineteen . スタジオは、このWinilレストラン&ワインバーのブランディング構築を手がけました。
メインロゴデザインには、オーナーVolkov氏のワインに対する情熱の秘密を解く『鍵』がモチーフに選ばれました。お店のキャッチフレーズも「The Key to Wine(ワインへの鍵)」。
静かで趣のある場所とのイメージを促す鍵穴とお店の絶対的な要素、ワイングラスをシンプルながらも巧妙に組み合わせた非常に洗練されたロゴデザインです。お店の全ての印刷物・表記物にはこのロゴマークを使用し、利用者・顧客へお店のアイデンティティをビジュアル的に記憶させる役目を果たしています。
配色はモノトーンを基本とし、使用ペーパーが白色及びライト・グレー。このクラシックで清楚なカラー展開も、モダンでありながらも正統的なワインバーというお店のイメージを引き上げる要素の一つです。
デザイナーのキャリアを積む前に、経営マネージメントや企業が成功するためのブランドコンサルタントの専門的な知識を習得したDmitry Gerais氏の作品を一緒に見てきましたが、皆さんはいかが思われたでしょうか。
クライアントである会社や商品、サービスをブランディングするということは、ビジネスのあり方や商品・サービスの価値を深く知ることが大切です。
レストランの名称からそのキャッチフレーズの創造、また、顧客へのプレゼンテーションの仕方やビジネスの目標点をデザインを通して示唆するDmitry Gerais氏のモノづくりの姿勢は、ブランディングデザインを受注する多くのデザイナーへ参考となるのではないでしょうか。
design : Dmitry Gerais ( Georgia )
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