お気に入りのフォントはありますか。大好きというほどではないけれども、つい選んでしまうフォントがあるかもしれませんね。プロのデザイナーでなくても、プレゼンにはこのフォントがピッタリだとか、この書類にこのフォントはもうひとつだとか感じながら選んでいる人は多いと思います。
人の個性と同じように、外観やまとっているムードは書体によってさまざまです。日常生活のあらゆるシーンで目にする書体もあれば、ある特定の分野での定番書体もあります。だれからも好印象をもたれるデザインがあれば、だれが使うんだろうというデザインもあります。
この記事で紹介する2つの書体、「パピルス(Papyrus)」と「コミック・サンズ(Comic Sans)」は、デザイナーたちから否定的な扱いを受けています。「プロに見えないから使ってはいけない」「炎上するから避けろ」「ブランドの印象を下げたくなかったらほかのフォントを使え」などとさんざんです。
ネット上でも長く話題になってきたので、ご存知の方もいると思います。どうしてそう言われるようになったのか、本当にそうなのか、などについて見てみたいと思います。
古代の手書き文字風の「パピルス(Papyrus)」
書体「パピルス」は、古代ローマン体をベースにした手書き風書体です。エックスハイト(x-height、小文字「x」の高さ)が極端に小さく、アセンダーやディセンダー(エックスハイトから上下に飛び出した部分)が長くなっています。大文字はヨコ幅の広いプロポーションです。
パピルスの特徴のひとつは、輪郭の線に細かいガタつきがあることです。これによって、風雨にさらされたようにも感じますし、ザラついた面に植物の茎や枝で書き記した文字のようにも見えます。
この書体の生みの親、デザイナーのクリス・コステロ(Chris Costello)氏は「もしも2000年前にエジプトのパピルスに英文が書いてあったらどう見えるだろう…」と考えてこの書体をデザインしたといいます。
「パピルス」とは古代エジプトで作られた紙の一種で、英語の「ペーパー(paper)」やフランス語の「パピエ(papier)」の語源となりました。パピルスは、英語ではパパイラス、フランス語ではパピリュスのように発音されます。
映画『アバター』とTV番組『サタデー・ナイト・ライブ』
ジェームズ・キャメロン監督の作品『アバター(Avatar)』は、2009年に公開され、記録的大ヒットとなった、画期的な3D映画です。
映画『アバター』のタイトルロゴは、最初の「A」と最後の「R」のレッグ(足)が長くなっているのをはじめ、全体に少しずつ手が加えられていますが、ロゴのベースはパピルスです。
映画『アバター』予告編
『アバター』から数年経った2016年、ジェームズ・キャメロン監督は、続編4作品を2023年までに公開すると明らかにしました。そのアナウンスの翌年、米国のコメディバラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ(Saturday Night Live)』で、書体パピルスを題材にしたパロディ寸劇が放映され、話題となります。
この寸劇には、サスペンス映画『ドライブ』(2012年)で主役を演じたライアン・ゴズリングが登場します。なぜキャメロン監督が『アバター』のタイトルロゴにパピルスを使ったのか、彼には理解できません。このことで不眠症を患い、心を病んでしまっているという設定です。
セラピストに診てもらっているときに、映画の続編が作られることを聞きます。彼は、ロゴのデザインは直されているのか尋ねました。1作目と同じだと知ると怒りが爆発。そして、キャメロン監督の家に車を走らせます。
公開されているこの動画は、2022年7月末現在で、なんと1800万ビューに迫る勢いです。この動画のコメント欄には「自分はグラフィックデザイナーだが、動画の主人公と同じく、『アバター』のロゴにパピルスが使われているのを見て驚いた」といった投稿がたくさんあります。
デザイン界では、パピルスはプロが使うべき書体ではないと考えられていました。それにもかかわらず、『タイタニック』や『ターミネーター2』を生み出した大監督が意欲的な新作のロゴに、こともあろうにパピルスを使うなんて…!というわけです。
今年、2022年12月には続編『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター 』の公開が予定されています。『サタデー・ナイト・ライブ』の寸劇動画でチラッと見える続編のタイトルロゴは、第1作と同じ書体です。しかし実際は、2022年末に公開される本当の続編のタイトルは、パピルスと似た雰囲気ですが、もっと太いカスタム書体に変更されています。
映画『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』
書体パピルスは落書きから偶然生まれた
グラフィックデザイナーでイラストレーターのクリス・コステロ氏がパピルスを作り出したのは1982年です。コステロ氏が23歳のときでした。そのころ、聖書時代や中東について考えながら落書きをすることがよくあったといいます。
あるとき、カリグラフィー用のペンで大文字をいくつか書きつけました。その文字から何かを感じたコステロ氏は、数日かけて大文字をすべて仕上げます。自身にとって初めてのオリジナルフォントにできるかもしれないと考え、パピルスと名づけます。
いろんなフォントベンダーに送りますが、関心を持ったのはインスタント・レタリングを販売している英国のレトラセット(Letraset)社だけでした。同社の求めに応じて、小文字も揃えたり、ストロークを太くしたりして手直しをします。フォントについての権利をすべて、750ポンド(現在の2500米ドル相当)でレトラセット社へ売りました。
無節操に使われているクセが強い書体
『サタデー・ナイト・ライブ』の寸劇のなかで、人気歌手のグッズ、バーのロゴ、ノーブランドのTシャツのプリントなど、パピルスがあちらこちらで使われていることがほのめかされています。
さまざまな用途やメディアで使われている書体は、ほかにもたくさんあります。ヘルベチカ(Helvetica)、フルティガー(Frutiger)、トレイジャン(Trajan)、ディド(Didot)などもあちらこちらで使われている、といっていいでしょう。
あまりにも広く多く使われているので見飽きた、手あかにまみれて陳腐化してしまったので使いたくない、というアンチ・ヘルベチカのデザイナーも確かにいます。しかし、こういった書体がパピルスほど否定されることはありません。
コステロ氏はメディアのインタビューで次のようにコメントしています。
「そもそも私が(パピルスを)デザインしたときは、非常に限られた範囲で使われるだろうと想像していました」
無色透明をめざしたり、読みやすさを追求した書体と、とても個性の強いパピルスとでは、想定された活躍シーンがもともと違うのです。
「住宅ローン会社や建設会社のロゴにパピルスが使われるなんて、まったく意図していませんでした」
さらに風あたりの強い書体「コミック・サンズ(Comic Sans)」
書体「コミック・サンズ」の嫌われ具合は、パピルスを上回っています。悪いフォントとしてやり玉にあげられる書体の筆頭です。デザイナーとうまく付き合うヒントをクライアント向けにまとめたブログでは、「コミック・サンズは死んだ」とまで言われる始末。コミック・サンズは「もっとも嫌われているフォント」なのです。
コミック・サンズを題材にした、コメディ俳優によるパフォーマンスもおこなわれています。恋人にフラれた男が必死でよりを戻そうとしているかのように、コミック・サンズが自分の魅力を訴えます。
コミック・サンズを題材にした寸劇
「メジャーブランドのロゴをコミック・サンズに変えてみた」的なあそびも行われています。ここまでくると、コミック・サンズを茶化しているのは、結構この書体を気に入っているからではないか?などと思ってしまいますが、どうなんでしょう。
有名ロゴをコミック・サンズで置き換えてみた
ところで、先に紹介した『サタデー・ナイト・ライブ』のパロディ動画のエンディングで「Papyrus」という文字が表示されます。実は、このテキストの書体にはコミック・サンズが使われているのです。細部までジョークがキツめですね。
マイクロソフト・ボブと犬のローバー
マイクロソフト社が1995年にリリースした、「マイクロソフト・ボブ(Microsoft Bob)」というインターフェイスがあります。このプロジェクトはマイクロソフト自身も失敗と認めていて、わずか1年足らずで開発を終了しました。
ウィンドウズやマックで採用されているデスクトップのメタファーをさらに推し進めて、パソコン上に部屋を再現しようとしたルーム・メタファーが、マイクロソフト・ボブでした。そこでは、ローバー(Rover)という名前の犬のキャラクターが操作をアシストしてくれるというものです。
コミック・サンズはキャラクターのセリフ用に作られたフォント
ローバーが操作をアシストするときは、ふきだしの中にテキストを表示していました。ボブのルーム・メタファーもアシスタントのローバーも、ユーザーが親しみやすさを感じるインターフェイスにするのが目的でした。
当時マイクロソフト社で働いていた書体デザイナーのビンセント・コナーレ(Vincent Connare)氏は、ローバーのふきだしに「タイムズ・ニュー・ローマン(Times New Roman)」が使われているのを見て、別の書体に変えなければいけないと考えました。新聞などで使われる書体と同じようなタイムズ・ニュー・ローマンは、ローバーに似合わないからです。
ビンセント・コナーレ氏の講演
アメコミを参考にした書体デザイン作りに着手
コナーレ氏は、手もとにあったアメリカン・コミックのふきだしの書体を参考にしながら、あたらしいフォントを作りました。これがフォント名の由来でもあります。参考にしたのは『ダークナイト・リターンズ(The Dark Knight Returns)』『ウォッチメン(Watchmen)』といった作品でした。
アメリカン・コミックの製作工程は、作業範囲の異なるプロによる分業制です。ふきだしのセリフやオノマトペ、タイトルロゴなどは、「レタラー(letterer)」が担当しています。ふきだしのセリフは、いまでは手書き風フォントが使われるのがほとんどですが、コナーレ氏がコミック・サンズの参考にしたころは、すべて手書きでした。ギャスパー・サラディノ(Gaspar Saladino)のような伝説的レタラーもいます。
コミック・サンズの特徴のひとつは、文字のデザインに一貫性がないということです。たとえば、「h」「n」「m」のショルダー(アーチ部分)の形状は、テキストの本文によく使われるような書体では、ほぼ揃えられていることが多いです。しかし、コミック・サンズでは文字ごとに異なるカーブで描かれています。
コナーレ氏は、コンピューターのドローソフトを使ってマウスで1文字1文字書いていきました。アメコミの文字に似ているけれども、コピーにはならないように何度も書き直したといいます。法的な観点もあったようですし、納期に余裕のない突貫作業でした。
ともかく、こうやって手書きの雰囲気の残ったカジュアルなフォントができあがりました。最終的にマイクロソフト・ボブへの採用は見送られましたが、1995年にリリースされた「ウィンドウズ95」の拡張用パッケージ「Microsoft Plus! for Windows 95」にバンドルされました。
また、ウィンドウズ95のOEM版ではシステムフォントとしてプリインストールされ、「マイクロソフト・パブリッシャー(Microsoft Publisher)」や「インターネット・エクプローラー(Internet Explorer)」では標準フォントとなります。その後、アップル社の「Mac OS」でもプリイントール・フォントとなりました。
書体の使い方こそが問題
パピルスもコミック・サンズも、ウィンドウズとマックに搭載されることで、だれにでも使えるフォントになりました。書体の名前や背景、特徴など、デザイン・出版・印刷の専門家だけの知識でした。それが、パソコンのドロップダウンメニューにズラリと並ぶようになったのです。
コナーレ氏の講演では、コミック・サンズの実例が紹介されています。ローマ法王の写真集、ギリシャの政党の設立趣意書、スペインサッカー連盟の優勝カップ。いずれもコミック・サンズの性格に合わない使われ方です。
コミック・サンズの寸劇では、子猫についてのメールや雑用分担ルーレット、バースデーカード、子供の学校での発表こそが自分の出番だ、とコミック・サンズがアピールします。そして、その理由は、「お気軽で、おバカなフォント」だからです。この寸劇では、コミック・サンズは茶化されているのですが、この主張自体は正しいと言えます。
パピルスにしても、コミック・サンズにしても、書体に合わない使い方があまりにも氾濫したために、デザイナーたちから目のカタキにされたのです。
フォントの選択肢が少なかったDTP黎明期
節操のない使い方が広まった理由のひとつとして、選択肢が少なかったということがあります。90年代のパソコンのおかげで、一般の人が自由にフォントを選べるようになったとはいえ、現在にくらべると種類は限られていました。
「学校での催し物や趣味の集まり、ホームパーティーの案内やチラシを作ろうとするとき、教科書や書類・本や雑誌で目にしている書体とは違う、手書き風でカジュアル、そして少し風変わりで目立つフォント」は他になかったのです。
コミック・サンズについて詳しく解説している、人気ユーチューバーのVsauce(ヴィーソース)さんが、英国のロックバンド、ディープ・パープルの『スモーク・オン・ザ・ウォーター』を例にして、おもしろいことを言っています。
世界中のギター初心者が、この曲の冒頭のリフを弾いたことがあるといってもいいくらい有名です。そのために、楽器店へ行くとかなりの確率でこのリフを試奏しているのに遭遇します。初心者ですから演奏のクオリティもそれなりです。コミック・サンズも訓練をつんでいない人が使うから美しくないというわけです。
「社内の告知ポスターや、レストランのメニューなども、追加コストの発生する外注よりも、パソコンにインストールされているフォントから選んでプリンターで自作する方が早いし、安い。これに危機感を持ったプロが、パピルスやコミック・サンズをやり玉にあげたのだ」と推察している人もいます。
書体に罪はない
パピルスとコミック・サンズの擁護者は「パピルスの文字の骨格はしっかりしているし、コミック・サンズは本文に組んでも読みやすい」と言っています。「おかしな使い方が多いから悪いフォントだ」というのは、妙な論理です。責めるべきはおかしな使い方をした人であって、フォントや書体を責めるのはお門違いというものです。
もちろん、グリフごとにデザインがバラバラで統一感がなかったり、ひとつひとつの文字はそんなに悪くないけれども、文章を組んでみると読みにくい、といった完成度の低いフォントがあるでしょう。
金属活字や写真植字の人気書体をデジタル化したフォントが、復刻・改刻の過程でオリジナルの魅力を少し損なってしまったケースもあります。
デザイナーに求められるのは、目的にあった書体・フォントを適切に選ぶことです。特別な効果をねらって、あえてミスマッチさせるという攻めた使い方もそこには含まれます。
パピルスやコミックサンズを使ったからデザイナーとして失格なのではありません。使う場所を間違えてしまうと、デザイナーとしてもう少し修行が必要だということになるでしょう。
似たような境遇を持つ日本語書体「創英角ポップ体」
『飼い主の方へ!』 pic.twitter.com/3EuU3k2iEm
— 創英角ポップ体bot (@souei_kakupop) August 4, 2022
日本語の書体「創英角ポップ体」も、パピルスやコミック・サンズと同じような境遇にあります。マイクロソフト・オフィスにバンドルされている点も同じです。シリアスな場面で使われたことも話題になりました。
書体名に「ポップ」とありますが、ポップコーンのようにはじけているわけでも、JポップやKポップのように、ある世代を対象としているわけでもありません。この「ポップ」は「POP(ピー・オー・ピー)」、すなわち「ポイント・オブ・パーチェス(point of purchase)」のポップなのです。店頭POPこそが創英角ポップ体のメインステージです。
あの「HG創英角ポップ体」の元となった直筆生原稿を見た :: デイリーポータルZ
https://dailyportalz.jp/kiji/160622196823
ところで、コミック・サンズには、1周まわってダサかっこいいフォントとして使われるケースが、ちらほら出てきているようです。また、インスタグラム・ストーリーの裏技として、隠れフォントであるパピルスを使う方法が紹介されています。これまでとは違う意味をまとったパピルスやコミック・サンズの活躍を見ることになるかもしれません。
【参考資料】
・ピーター・ドーソン 著、手嶋由美子 訳 『街で出会った欧文書体実例集』、ビー・エヌ・エヌ新社
・In Defense of Papyrus: Avatar Uses the World’s Second-Most-Hated Font to Signal the Downfall of Civilization (https://designforhackers.com/blog/papyrus-font/)
・Why You Hate Comic Sans – Design for Hackers (https://designforhackers.com/blog/comic-sans-hate/)
・Toshi Omagari | 身近な書体:Comic Sans (https://tosche.net/blog/comic-sans)
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