空港や駅で、行き先案内の表示が読みにくかったら大変なことになります。3番ゲートと8番ゲートを読み間違えると乗り遅れてしまうかもしれません。福島行きと思ったら徳島行きだったなんて大ショックです。サインシステムの書体は、視認性と読みやすさが命です。
書体「フルティガー(Frutiger)」は、パリ=シャルル・ド・ゴール空港のサインシステム用書体として作られました。書体のデザインに求められたのは、遠くから見ても、斜めから見ても、視認性が高く読みやすいことです。
・シャルル・ド・ゴール空港のサイン / EdNurg – stock.adobe.com
シャルル・ド・ゴール空港は1974年に開港しました。書体フルティガーは1976年にライノタイプ社から一般向けにリリースされます。機能性を重視して、不要な装飾を徹底的に排したサンセリフ体ですが、ヒューマニスト・サンセリフの柔らかさもあわせ持っています。明るくモダンなフルティガーは大人気となりました。
フルティガーは、空港や駅のサインシステムだけでなく、看板やディスプレイから本文テキストまで広く使われています。フルティガーを採用したロゴや広告も少なくありません。
書体フルティガー(Frutiger)を使ったロゴデザインの例
視認性の高いフルティガーがロゴタイプに採用されているケースでは「ブランド名をしっかりと提示したい」という意思が感じられます。一方で、書体デザインのおかげで、冷徹なフィールや威圧感はうまく取り除かれているようです。
ドイツ郵便のロゴ(ドイツ)
・ドイツ郵便のロゴデザイン / Tupungato – stock.adobe.com
ドイツ郵便(Deutsche Post)は、1990年10月に東西ドイツが統一されたのち、ドイツ連邦郵便の分割民営化で1995年に誕生した郵便事業会社です。民営化後のドイツ郵便はグローバル市場を積極的に目指しました。世界ではじめての国際宅配便である、米国生まれのDHLも現在はドイツ郵便の傘下です。
ドイツ郵便のロゴは、ホルンを図案化したシンボルマークとロゴタイプの組み合わせです。1998年から2019年まで使われていたロゴタイプの書体もフルティガーでした。
シンボルマークは、曲線で描かれたホルンと4個の平行四辺形で構成されたミニマルなデザインですが、これとフルティガーのロゴタイプは完璧にマッチしています。マークとの距離、大きさのバランス、ロゴタイプ自体の字間。どれをとっても破綻のないデザインです。
古いロゴマークでは、ホルンに巻きつけた飾り紐とイナズマ型の矢印が具象的に表現されていたのですが、1979年に2つの矢印と2つの平行四辺形に単純化されました。1998年のリニューアルで、もっとシンプル化されたものが現在のシンボルマークの4つの矩形です。
18世紀から19世紀の欧州では、郵便馬車の到着と出発を知らせるために、「ポストホルン」と呼ばれる金管楽器が吹かれました。現在でも、郵便局や郵便事業のシンボルとして、図案化されたポストホルンがドイツに限らず欧州各国で使われています。
ドイツ郵便は、2019年のブランドリニューアルで、カスタム書体「Delivery(デリバリー)」を作成し、オフィシャルフォントとして採用しました。ロゴタイプの書体も、フルティガーから、この「配達」という名前の書体に差し替えられています。
エリクソンのロゴ(スウェーデン)
・エリクソンのロゴデザイン / nmann77 – stock.adobe.com
スウェーデンに本社を置く、世界的な通信機器メーカー、エリクソン(Telefonaktiebolaget LM Ericsson)のルーツは、1876年にラーシュとヒルダのエリクソン夫妻が開いた、電信機の修理工場にまでさかのぼります。発明されて間もない電話がスウェーデンに紹介されると、その可能性に気づいたエリクソンは、電話機作りを開始し、事業を拡大しました。
エリクソンの名前は、ソニーとの合弁会社であるソニー・エリクソンの携帯電話やスマートフォンで知っているというひとが多いかもしれません。ソニーとエリクソンは2011年に合弁を解消しました。エリクソン自体も現在では、電話機など通信機端末の製造からは完全に手を引き、無線ネットワークのインフラ市場のリーダーとなっています。
Tobias Arhelger – stock.adobe.com
エリクソンのロゴは、ハンバーガーメニューを斜めにしたようなシンボルマークとワードマークとの組み合わせです。角丸の3本のバーでできているシンボルマークは、大文字「E」をモチーフに作り出されました。愛称は「3本のソーセージ」。このロゴは1982年に登場し、現在までに何度か小さな手直しがおこなわれています。
2018年のリニューアルでは、ソーセージの傾きにとても微細な修正がおこなわれました。デジタルデバイスの画面表示に最適な角度として、18.435度に調整されています。見比べると従来よりもほんのわずか寝ているのがわかります。太さや丸み、バーの間隔も手直しされました。
大文字で組まれたワードマークの書体は、フルティガーのブラックです。ミニマルなシンボルマークにマッチしています。また、ブランドの先進性や信頼性が、冷たい印象を与えずに表現されていますが、これには書体のチョイスも貢献しているでしょう。シンボルマークとワードマークのレイアウトやバランスからも、安心・安定が感じ取れます。
世界保健機関のロゴ(国際連合)
・WHO – 世界保健機関のロゴデザイン / hectorchristiaen – stock.adobe.com
世界保健機関(World Health Organization)は、略称の「WHO」(ダブリュ・エイチ・オー)の方が耳になじみがあるでしょう。とくにここ数年は、COVID-19の感染拡大に関連したニュースなどで注目されています。WHOは、健康はすべてのひとの基本的人権であるという考えのもと、1948年に設立されました。
WHOは、国際連合(国連)の専門機関のひとつです。シンボルマークも国連のエンブレムをベースにしています。国連のエンブレムは、北極を中心とした世界地図と、それを囲む2本のオリーブの枝でできています。世界地図が世界中のすべてのひとと国、オリーブの枝が平和の象徴です。
WHOのシンボルマークは、これに「アスクレピオスの杖(つえ)」を組み合わせてあります。杖に蛇がからみついた杖は、ギリシャ神話に登場するアスクレピオスという医者の持ち物です。現在は世界中で医学のシンボルとなっています。
このシンボルマークとワードマークの組み合わせがWHOのロゴです。色も国連のエンブレムと同じライトブルーが使われます。1948年の初代ロゴでは、ワードマークのロゴはセリフ書体でしたが、2006年のリニューアルで、フルティガーのボールド・コンデンスに変わりました。上段の「World Health」と下段の「Organization」が左右揃えで組まれています。字間はやや詰め気味です。
アスクレピオスの杖を国連のエンブレムに重ねたものがWHOのシンボルマークなのですが、おもしろいのは、オリーブの枝の描かれ方が国連のものと微妙に異なっているところです。どういういきさつがあったのでしょうか。
フリッカーのロゴ(米国)
・フリッカーのロゴデザイン / dennizn – stock.adobe.com
フリッカー(Flickr)は、撮影した写真を共有できるサイトです。カナダのルディコープ社が2004年に開設し大人気となりました。2005年に米Yahoo!が買収。現在のサービスは、米SmugMug社から提供されています。登録メンバー数は1億を超えるともいわれています。
フリッカーのロゴは、シンボルマークとワードマークの組み合わせです。2つの円と小文字で組まれたブランド名という構成は、きわめてシンプルなデザインですが、カラーパレットのおかげで、とても豊かで印象的なものになっています。
ピンクとブルーに塗り分けられた2つの丸は、カメラのレンズをシンボライズしたものでしょう。また、写真や動画とカメラマンとの出会いを示唆しているようにも思えます。
ブランド名は当初、ゆらめき、ちらつき、映画などを意味する「flicker」という単語にするつもりだったのですが、商標を取得できなかったため、「e」を取り去って、オリジナルのスペリングとなりました。ワードマークでは、これを逆手にとって、「r」だけをピンクとすることで、記憶に残るデザインとなっています。
書体にはフルティガーが採用されています。字形に手を加えられることなく、オーソドックスに組まれていますが、このおかげでシンボルマーク、そしてロゴ全体のユニークさが、さらに際立っているのではないでしょうか。
シャルル・ド・ゴール空港のサインシステム用に開発された書体フルティガー(Frutiger)
シャルル・ド・ゴール空港の建設は1964年に始まりました。1968年にアドリアン・フルティガー(Arian Frutiger)氏は、新しい空港のサインシステムをデザインするよう依頼を受けます。
フルティガー氏は、1959年に画期的な書体「ユニバース(Univers)」を手がけました。のちには、「アベニール(Avenir)」「OCR-B」「ベクトーラ(Vectora)」といった定番書体も作った、20世紀を代表する書体デザイナーのひとりです。
もともと空港のためのカスタム書体として開発されたこともあり、シャルル・ド・ゴール空港の地名から「ロワシー(Roissy)」と呼ばれていましたが、1976年にライノタイプ社から一般向けにリリースされる際に、作者名と同じ「フルティガー」に変更されました。
オランダ、アムステルダムのスキポール空港でもフルティガーがサインシステムに使われています。英国のヒースロー空港では、フルティガーをベースにしたカスタム書体が使われています。また、日本を含む世界中の鉄道でも、フルティガーがサインシステムなどに採用されている例は少なくありません。
VTT Studio – stock.adobe.com
書体フルティガー(Frutiger)の特徴
新空港のカスタム書体を作るにあたって示された基準は、遠くからでも、高速移動時でも、正面以外の角度からでも、暗い環境のもとでも、認識しやすいデザインであること、というものでした。
フルティガー氏は、自身の手による書体ユニバースをベースにして、「ギル・サンズ(Gill Sans)」「ジョンストン(Johnston)」といったヒューマニスト・サンセリフ書体のように、幾何学的でない有機的なデザインの書体を作ることを決めます。
新しい書体のコンセプトは、「矢印のような明快さ」でした。右を向いているのか左を向いているのかがわかりにくい矢印は、矢印としての役に立ちません。つまり、「5」と「6」、「C」と「O」などの違いが明確で、どこから見てもすぐに認識できる書体デザインが追求されたのです。
文字の視認性を高めているデザイン上の特徴をいくつか紹介します。たとえば、カウンター(内部の空間)が大きく、アパーチャ(開口部)も広くとってあります。「a」「e」「s」などを見ると、巻き込み部分が小さめなのがわかります。
エックスハイト(x-height、小文字の高さ)が大きく、遠くから見ても小文字が認識しやすくなっています。アセンダーとディセンダー(小文字の高さから上下に突き出た部分)が長めなのも、「b」「d」「h」「q」などの判別をしやすくするためです。ちなみに、小文字「i」「j」のドットは四角形です。
タイプディレクターの小林章氏は、フルティガー氏の次のようなことばを著作で紹介しています。
「スープを飲んだ後で、その時に使ったスプーンの形をありありと思い出せるようなら、そのスプーンの形は悪かったということだ」(『欧文書体2』小林章 著)
これは、とくに書体「フルティガー」についてのコメントではありませんが、さまざまな条件下でも、見やすく読みやすい、という書体フルティガーの本質でもあります。
このように視認性を追求すると同時に、幾何学的ではない、人間味のあるぬくもりも持っています。ニュアンスのあるストロークやなめらかなカーブによる、やさしい美しさも、書体フルティガーの特徴です。ウェイトのバリエーションが広く、ファミリー全体がシステマチックに開発されています。
はっきりとメッセージを伝える能力にすぐれていると同時に、オーガニックで美しい書体フルティガーは、サインシステム、ディスプレイ、印刷物、デジタル機器を問わず、あらゆるタッチポイントで重要な役割を果たしています。さまざまな分野のブランドのロゴにも採用され、コーポレートフォント、またはカスタム書体のベースとしても広く活用されています。
フルティガーの復刻・改刻バージョン
ライノタイプ社から1976年にリリースされたフルティガーは、金属活字と写真植字でした。
ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク美術館からの依頼による改訂版が、1997年に作られました。2000年にライノタイプ社からデジタルフォント「フルティガー・ネクスト(Frutiger Next)」としてリリースされます。フルティガー・ネクストの開発に、フルティガー氏は関わっていませんでした。
2009年には、フルティガー氏と小林章氏が改刻した「ノイエ・フルティガー(Neue Frutiger)」がリリースされました。1976年のオリジナルをベースにして、全面的に改良され、ウェイトの拡充も図られたバージョンです。
欧文書体に合う他言語の書体を見つけるのが難しいという欧米の企業の課題を解決するために、「ノイエ・フルティガー・ワールド(Neue Frutiger World)」が2018年にリリースされます。アラビア文字、ヘブライ文字、タイ文字、ベトナム文字など、150以上もの言語に対応。どの言語を組み合わせてもマッチするデザインになっています。ノイエ・フルティガーに合う日本語書体としては、「たづがね角ゴシック」が開発されました。
【参考資料】
・小林章 著、『欧文書体』、美術出版社
・小林章 著、『欧文書体2』、美術出版社
・小林章 著、『フォントのふしぎ』、美術出版社
・ピーター・ドーソン 著、手嶋由美子 訳『街で出会った欧文書体実例集』、ビー・エヌ・エヌ新社
・トニー・セダン 著、長澤忠徳監 訳、和田美樹 訳『20世紀デザイン グラフィックスタイルとタイポグラフィの100年史』、東京美術
・世界的な書体デザイナーって(1) : デザインの現場 小林章の「タイプディレクターの眼」 (https://blog.excite.co.jp/t-director/10294161/)
・Frutiger (typeface) – Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/Frutiger_(typeface))
・Adrian Frutiger – Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/Adrian_Frutiger)
・アドリアン・フルティガー – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/wiki/アドリアン・フルティガー)
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