本当はどう読むのかわからない、モヤモヤ書体名リストの筆頭かもしれません。「エイリアル(Arial)」と聞いて、「あぁ、ヘルベチカのアレね」と書体ヘルベチカを思い浮かべるのは、業界に身を置いているか、書体マニアでしょう。
もちろん、ヘルベチカ(Helvetica)を知らないひとであっても、エイリアルには日常的に触れているはずです。マイクロソフト社のWindows、またはアップル社のmacOSを搭載しているパソコンを使っていれば、アプリのフォント選択メニューで見たことがあると思います。
英文字のドキュメントをビジネス用アプリで作った経験があれば、一度も「Arial」を使ったことがない、というひとは少ないのではないでしょうか。
エイリアルが使われているロゴデザインの例
個人経営のショップや、オフィスや店舗の従業員がパソコンを使って自作したようなロゴやPOP、ポスターなどで、エイリアルが使われているのをすぐに見つけ出せると思います。フォントデータ購入のための追加コストが発生しないので、予算に限りがあるときに書体エイリアルは合理的な選択です。
そのようなDIY的なデザインとは別に、メジャーな企業やブランドのロゴデザインにもエイリアルが採用されている例があります。
トルコ国営石油会社のロゴ(トルコ共和国)
via Wikipedia
トルコ国営石油会社のロゴは、エンブレムとワードマークとの組み合わせです。
エンブレムは、ゆるやかにカーブを描くフレームの中に、シンボルマークがレイアウトされています。シンボルマークは太陽のような、あるいは回転ノコギリのような形状です。中央に「トルコ石油」の頭文字「TP」が、幾何学的な書体で白ヌキされています。
社名のワードマークは、2種類のウェイトでレイアウトされています。「トルコ石油」にあたる単語「Türkiye Petrolleri」が2行でレンブレムの右に置かれ、その下に「共同企業体」あるいは「公社」にあたる単語が、軽めのウェイトで組まれています。
使われている書体は、エイリアルです。文字自体への加工はおこなわれていません。「トルコ石油」にあたる2行が、左右揃えで組まれています。単語の長さが違うので、下の段のポイントを小さくすることで、上下2段の幅を揃えています。下段の字間は、上段よりも少し広めに設定されているようです。
上下段の幅はぴったり揃っているのですが、「T」と「P」の字形の影響なのか、エンブレムのフレームのせいなのか、頭が揃っていないように錯覚するかもしれません。
「共同企業体」にあたる文字は、エンブレムと「トルコ石油」のかたまりに対して、左右の幅を揃えようとしたのでしょうが、なぜか右端の「I」が微妙に右に飛び出しています。
この「共同企業体」の文字の大きさと字間は、「トルコ石油」の部分とのバランスを考えたときに、未完成な印象を与えます。ロゴで文字要素が多いときに起こりがちな悩ましい状況です。小さく表示したときは、ほとんど気にならないのですが、難しいところです。
アリエル・モーター・カンパニーのロゴ(英国)
via Wikipedia
英国には、市販車のエンジンやパーツを組み合わせてオリジナルの車を作る、カーマニアや小規模な自動車製造業者がいます。「バックヤードビルダー」と呼ばれています。とても高度な技術を持っていて、のちに国民的人気車種を製造するメーカーとなった例もあります。また、F1に参戦しているチームのなかには、バックヤードビルダーをルーツとするところもあります。
ホンダ・シビックのエンジンを載せたスーパースポーツカー「アリエル・アトム」を、2000年から発売している英国のアリエル・モーター・カンパニー(Ariel Motor Company)社もバックヤードビルダーのひとつです。1991年に創業し、1999年に社名をアリエル・モーター・カンパニーに変更しました。現在でも、従業員は7名で、生産台数は年に100台程度というスモールカンパニーです。
同社が2001年に採用した同社のロゴは、シンボルマークとロゴタイプとの組み合わせです。
ロゴタイプの文字は、「Arial Black」とほぼ同じです。しかし、全体に少しコンデンスがかかっています。
また、「R」のレッグ(足)にも違いがみられます。アリエル社のロゴでは、ストロークの太さがすべて同じです。一方、書体エイリアルのレッグは、つけ根がわずかに細くなっていて、微妙なニュアンスを持ったストロークになっています。
書体エイリアルがベースとなっていると考えられますが、ロゴ化するにあたって、「R」の特徴的なレッグが気になったのかもしれません。
社名の頭文字「A」をモチーフとしたと考えられるシンボルマークは、白いストロークが前方に伸びるまっすぐな道のようにも見えます。クロスバーの代わりに白い丸が置かれていますが、フォーミュラーカーの操縦士のヘルメットのようです。赤い三角形の部分は、フォーミュラーカーや、アリエル・アトムのノーズを思わせます。
スカイプのロゴデザイン(米国)
・skypeのロゴ / monticellllo – stock.adobe.com
この2年、COVID-19の感染拡大をきっかけに、在宅ワークとウェブ会議が急速に広がりました。そこで使われるツールとしては、Zoomとマイクロソフト社のTeamsの名前がよくあがります。2004年にリリースされたSkype(スカイプ)は、その先輩格です。少し前までは、インターネット回線を介したビデオ通話用ツールといえば、Skypeでした。Skypeは、2011年にマイクロソフト社に買収されました。
Skype社の設立は2003年です。創業当時から2017年まで使われていたロゴは、小文字で組まれたブランド名「skype」に、雲のような背景がつけられたデザインです。数回リデザインがほどこされ、色やグラデーション、ボーダーなどの表現が変わりましたが、基本的な構成は維持されていました。
このロゴにつかわれている書体は、エイリアル・ファミリーのひとつ「Arial Rounded MT Bold」です。エイリアルの文字の末端を丸くすることで、カジュアルさが与えられた書体です。Skypeのロゴでは、ストロークの太さや長さが少し変えられています。
デザインはグロテスク、プロポーションはヘルベチカ
19世紀のはじめに活字として作られたサンセリフ書体は、グロテスク(Grotesque、Grotesk)またはゴシック(Gothic)と呼ばれていました。ヘルベチカも、リリース後すぐは「ノイエ・ハース・グロテスク(Neue Haas Grotesk)」という名前でした。
ヘルベチカは、書体デザイナーのマックス・ミーティンガー(Max Miedinger)が1957年に作り出しました。デザインのベースとなったのは、20世紀初頭のグロテスク書体です。1960年にライノタイプ社が「ヘルベチカ」の名前に変えてリリースし、世界的な人気書体となります。
エイリアルは、モノタイプ社が1982年に開発しました。デザインしたのは、ロビン・ニコラス(Robin Nicholas)氏と故パトリシア・ソーンダース(Patricia Saunders)氏を含む10名からなるチームでした。
エイリアルの開発のいきさつについては、欧文書体デザイナーの大曲都市(おおまがりとし)氏のブログで詳しく紹介されています。大曲氏は、モノタイプ社在籍時に、上司だったロビン・ニコラス氏から当時の話をじかに聞いていて、とても興味深いです。
・Toshi Omagari | 身近な書体: Arial (https://tosche.net/blog/arial)
・Toshi Omagari | 続・身近な書体:Arial (https://tosche.net/blog/arial-the-sequel)
レーザープリンター用ビットマップフォント「ソノラン・サンセリフ」
Nikolay N. Antonov – stock.adobe.com
米IBM社は、業務用レーザープリンターにプロポーショナル書体を搭載することを考えます。同社は、サンセリフ書体としてはヘルベチカを選びました。話を持ちかけられたモノタイプ社は、ヘルベチカがライノタイプ社の書体であったため、代替書体を作ることを提案します。カスタム書体の製作にIBMが同意したのは、ライセンス料が高額だったこともありました。
エイリアルのもととなる書体は1982年に誕生します。IBMのプリンターには「ソノラン・サンセリフ(Sonoran Sans Serif)」という書体名で搭載されました。対象のプリンターの解像度は、わずか240dpiでした。また、そのとき作られたフォントはビットマップデータです。
文字のデザインについては、1926年にモノタイプ社が作ったサンセリフ書体「モノタイプ・グロテスク(Monotype Grotesque)」がベースとなっています。
[書体 : モノタイプ・グロテスク](デジタル復刻版)
Monotype Grotesque Font | Webfont & Desktop | MyFonts
https://www.myfonts.com/fonts/mti/grotesque-mt/
マイクロソフトがエイリアル(Arial)をWindows 3.1に搭載
その後、パソコンは急速に進化し、出力用の書体も、ビットマップフォントに代わってアウトラインフォントが登場します。エイリアルも、1989年にPostScript(ポストスクリプト)版、1990年にTrueType(トゥルータイプ)版が作られました。
米マイクロソフト社は、1992年にリリースしたWindows 3.1にTrueTypeフォントを組み込みました。モノタイプ社の提供する「タイムズ・ニュー・ローマン(Times New Roman)」、「クーリエ・ニュー(Courier New)」、「エイリアル(Arial)」です。それぞれ、レギュラー、ボールド、イタリック、ボールドイタリックの4つのウェイトがありました。エイリアルには、ブラックも提供されていました。ほかに、固定幅フォントや、ギリシャ文字、記号などの表示用フォントもTrueTypeで提供されています。また、さらに多くの書体をひとつにまとめた「TrueType Font Pack for Windows」も同時期に発売されました。
オフィスにパソコンが普及し始めたこの当時、これは画期的なことでした。文字の大きさやウェイトが自由に選べて、拡大してもギザギザのないなめらかな輪郭の文字をディスプレイに表示し、プリンターに印刷できるのです。また、TrueTypeを使ったドキュメントは、別の環境のパソコンで見ても、同じ状態で見ることができます。
こういった現在ではあたりまえのことが、出版印刷業界に身を置いているわけではなく、アップル社のマッキントッシュなどを使うデザイナーやクリエイターでもない、さまざまな分野のオフィスワーカーやパソコンユーザーにとっては、初めて可能になったのでした。
ヘルベチカとエイリアルの「互換性」
エイリアルのTrueType版を作るにあたって、マイクロソフトは、文字のプロポーションをヘルベチカと一致させるよう要望します。そして、Windows 3.1のリリース時に、エイリアルは「ヘルベチカの代替書体」であるとアナウンスしました。(これが論議を呼んだようですが……。)
当時、アップル社のマッキントッシュ(Macintosh)には、標準書体のひとつとしてヘルベチカが搭載されていました。たとえば、マッキントッシュにインストールされたマイクロソフト・ワード(Microsoft Word)で、ヘルベチカを使ってドキュメントを作成します。これを、Windowsマシンのワードで開き、フォントにエイリアルを選ぶと、ほとんど同じように見えるということです。
エイリアルの字幅とスペーシングはヘルベチカと同じなので、マッキントッシュとWindowsマシンでファイルをやりとりしたとき、改行位置や文字送りが変わってしまうということが起こりません。また、どちらもグロテスク書体をベースにデザインされていますから、専門家ではないひとの目には、ほぼ同じに見えます。
マイクロソフトは、Windows 95をリリースした翌年の1996年に、インターネット用標準フォントとして「Core fonts for the Web」を発表しました。それにエイリアルも含まれています。これも、ヘルベチカとエイリアルのどちらを搭載しているかにかかわらず、ウェブサイトの閲覧やメールなどのために同じ環境を実現しようとしたものです。
エイリアル(Arial)のデザイン上の特徴
・Arial、Helvetica、Monotype Grotesque 215を同サイズに調整 / Blythwood (CC BY-SA 4.0)
エイリアルもヘルベチカもグロテスク書体をベースとしています。ですから、見た目もヘルベチカとエイリアルは似ています。むしろ、ヘルベチカと同じに見えるよう作られたビットマップフォントがソノラン・サンセリフ、そしてアウトラインフォントがエイリアルといえるでしょう。
エイリアルについて「ライセンス料を惜しんだマイクロソフトが作ったヘルベチカのコピーだ」と言われることがあります。しかし、ライノタイプ社に対するライセンス料はセーブできたかもしれませんが、マイクロソフトがエイリアルの開発に投入した金額は膨大だったそうです。また、ヘルベチカの「互換書体」「代替書体」を意図していましたが、ヘルベチカを改変してコピーを作ったわけではありません。
低解像度プリンターでの読みやすさに配慮された書体
ヘルベチカは、印刷を目的にした金属活字の書体です。一方、エイリアルの前身のソノラン・サンセリフは、低解像度レーザープリンターのために作られたビットマップフォントです。開発意図はもともと異なっていました。
エイリアルは、低解像度レーザープリンターでの印刷を目的としたデザインになっています。ヘルベチカに比べて、ストロークがわずかに細く、文字と文字とのあいだやカウンターが広くなるため、「組版濃度が若干明るめ」になります。ストロークのカーブもヘルベチカより柔らかく深くなっています。大曲氏によると「本文組版により適したものになっている」ということです。
エイリアルのデザインチームのリーダーだったロビン・ニコラス氏は、グラフィックデザインの季刊誌『Eye』のインタビューで、自分が手がけた書体が使われているのを見てどう感じるかという質問に、次のように答えています。
「エイリアルを自分の書体とはあまり思っていません。その時代の産物だったのです。会社のニーズを満たす方法でした。しかし、書体がうまく使われているのを見るのはよいものです。エイリアルもかなり素敵に見えます。正しい使い方をしていれば、ほとんどの書体がそうなのですが」
ヘルベチカとエイリアルの見分け方
ヘルベチカとの見分け方について、ネットに多くの情報があります。ポイントをいくつか紹介します。
判別しやすい文字に、大文字「G」と「R」がまずあげられます。
ヘルベチカの「G」にはトゲのように下に突き出た部分があり、丸く回転させた矢印のように見えます。エイリアルにはトゲのような部分はありません。
「R」もヘルベチカに特徴的なレッグを持っています。ボウルの右端に近い部分から出て、ほぼ垂直に出ています。エイリアルのレッグは、ゆるやかなカーブを描いて右ななめ下に伸びています。
ヘルベチカのレギュラーでは、小文字の「a」のターミナルが右に突き出ています。エイリアルの小文字の「t」の上端は、ななめにカットされています。
ヘルベチカでは、基本的にストロークの切り口は、水平または垂直ですが、エイリアルでは、「e」や「s」、「r」など、カーブを描くストロークの切り口は、ななめになっています。
フォント「Arial」の読み方について
発音についても、大曲氏のブログが参考になります。
おもしろいのは、そもそも書体名「Arial」が商標登録の事情による造語であるため、開発チーム内でもメンバーによって読み方が複数あったという証言です。ニコラス氏によると、エイリアル、アーリアル、アリアルが共存していたとのこと。
「少なくとも英語圏ではエイリアルやエーリアルが一番通りますが、アリアルと発音してもなんら恥ずかしいものではありませんし、Aをそのまま『ア』と読むフランス語やドイツ語ではむしろそっちの方が普通でしょう」(大曲氏)
「A」はカタカナ表記では、「エイ」と「エー」の両方がありますので、「エーリアル」と表記されている出版物もあります。
【参考資料】
・トニー・セダン 著、長澤忠徳監 訳、和田美樹 訳『20世紀デザイン グラフィックスタイルとタイポグラフィの100年史』、東京美術
・大谷秀映 著、『The Helvetica Book ヘルベチカの本』、エムディーエヌコーポレーション
・ピーター・ドーソン 著、手嶋由美子 訳『街で出会った欧文書体実例集』、ビー・エヌ・エヌ新社
・Arial® Font Family | Fonts.com (https://www.fonts.com/ja/font/monotype/arial)
・Helvetica vs. Arial: Do You Know the Difference? | CreativePro Network (https://creativepro.com/helvetica-vs-arial-difference/)
・Arial is a Font (a typeface documentary) (https://youtu.be/oxrzJYpS5WQ)
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