トレイジャン(Trajan)について
約2千年前のローマ帝国時代に建てられた石柱に美しい文字が刻まれていました。それをデジタルフォントで再現した書体がトレイジャン(Trajan)です。米アドビ(Adobe)社のデジタル書体シリーズ「Adobe Originals」のひとつとして、1989年にリリースされました。いまでも多くのデザイナーを魅了している書体です。

ローマの遺跡

トレイジャンは、品格、高級感、洗練、優雅、威厳などといったことばで形容されます。デスクトップパブリッシング(DTP)の普及期だったこともあり、人気の書体となりました。ロゴタイプにも盛んに活用されます。また、ハリウッド映画のタイトル用書体の定番のようになって、あらゆるポスターにトレイジャンが使われるという現象も起こりました。

トレイジャン(Trajan)の使用例 〜 大学のロゴ

歴史と伝統を感じさせるトレイジャンは、大学のブランドアイデンティティにも多く採用されています。威厳がありながら親しみやすさもかね備えているという、この書体ならではの特徴が好まれているのでしょう。

コロンビア・カレッジのロゴ(アメリカ)

コロンビア大学のロゴ

via Columbia College Style Guide

ニューヨーク市のコロンビア大学(Columbia University)は、名門私立大学のひとつです。1754年にキングス・カレッジ(King’s College)として創立。アメリカ合衆国独立後の1784年にコロンビア・カレッジ(Columbia College)に名前が変わり、1896年に大学院が設置されたときにコロンビア大学となりました。コロンビア・カレッジは現在も同大学の学士課程のひとつとなっています。

コロンビア・カレッジのロゴに採用されている書体はトレイジャンです。ロゴは、キングス・カレッジ創設以来の象徴である王冠のシンボルマークとロゴタイプで構成されています。コロンビア・カレッジのロゴタイプの下に小さく置かれているのはコロンビア大学の正式名称です。

同カレッジのブランドガイドラインには次のような説明があります。

「コロンビア・カレッジのロゴタイプはTrajan Proで組まれています。Trajan Proは、コロンビア大学のブランドガイドラインで定められた、本大学の公式書体です。この書体は、トラヤヌスの記念柱に見られる字形を基にしており、古典に基礎を置いた『コア・カリキュラム』を思い起こさせます」

「コア・カリキュラム」というのは、1919年から続いている全学生必須のカリキュラムです。プラトンやアリストテレスの著作に始まる西洋の古典を中心とした、同大学独自の教養課程となっています。

ユタ大学のロゴ(アメリカ)

ユタ大学のロゴ

・ユタ大学のロゴ / C5Media – stock.adobe.com

ユタ大学は、愛称で「U」とも呼ばれます。「U」は同大学のシンボルマークにもなっています。スラブセリフと幾何学図形が融合したような、力強いシンボルマークに組み合わせれているロゴタイプもトレイジャンです。

シンボルマークと強いコントラストを見せているロゴタイプは、「the」と「of」を小さくして、大学名が認知しやすくなっています。ウェイトの大きなシンボルマークをやや右寄りに配置。それに対してうまく重心をとりながら、絶妙なバランスでロゴタイプをレイアウトすることで、一体感のあるモダンなデザインを作り出しています。ロゴタイプの組み方は、映画のタイトルやエディトリアルの見出しを連想します。

カンザス大学のロゴ(アメリカ)

カンザス大学のロゴ

via Wikipedia

カンザス大学のロゴは、略称の「KU」と大学名のロゴタイプを組み合わせたものです。

カンザス大学のキャンパスは、カンザス州ローレンス市の丘の上にあります。同大学の「KU」ロゴの「K」のレッグ(足)が「U」の下まで伸ばされていますが、これは、キャンパスのある丘を表現しています。また、「K」と「U」の上部が結合して合字(リガチャ)のようになっています。「KU」マークには、これ以外の特別なデザイン処理が見当たりません。モノグラムと呼べるものかどうかわからないほどシンプルです。

ロゴタイプでも、「KAN」が下部で結合しています。また、アンダーラインもロゴの要素のひとつです。「KU」ロゴとロゴタイプを水平に並べるバージョンでは、「KU」ロゴのレッグの先とアンダーラインの上下方向の位置が揃うようになっています。

銀行のロゴでの使用例

威厳と品格、伝統といった印象を与えるトレイジャンは、金融業界でも好まれています。

農業信用制度のロゴ(アメリカ)


米国には農業従事者を資金面でサポートする農業信用制度(Farm Credit System)という仕組みがあります。農業信用銀行と農業信用組合で構成されているこの農業信用制度のロゴタイプは、トレイジャンのセミボールドです。シンボルマークは、3枚の葉と根に十字の星を組み合わせたデザインで、「バイオスター(BioStar)」と呼ばれています。

三井住友銀行のロゴ(日本)

三井住友銀行のロゴデザイン

・三井住友銀行のロゴ / tamayura39 – stock.adobe.com

身近なところでは、三井住友銀行の「SMBC」ロゴタイプもトレイジャンまたはトレイジャンをベースとした書体です。公式なアナウンスはありませんが、4文字ともに、トレイジャンに特有の形状やディテールを確認できます。

三井住友銀行大阪本店

soraneko – stock.adobe.com
まるで神殿のような三井住友銀行大阪本店は、トレイジャンとの相性が抜群。

トレイジャン(Trajan)はハリウッドで定番書体となる

グラフィックデザイナーのイヴ・ピータース(Yves Peters )氏は、ハリウッドでトレイジャンが定番書体となっていた時期があったと報告しています。デュッセルドルフで2011年に開催されたコンファレンスでの講演など、映画ポスターのデザインについてピータース氏が解説している動画をネットで見ることができます。


1990年から2010年までの約16,000種の映画ポスターを見てきたというピータース氏によると、この20年間にトレイジャンを採用したポスターは400種以上あったということです。

ポスターにトレイジャンを使った最初の例は、1991年公開のアドベンチャー映画『At Play in the Fields of the Lord』のポスターです。1992年には、ポスターにトレイジャンを使った映画が4作品になります。『ボディガード』(The Bodyguard)は世界中で大ヒットしました。『セント・オブ・ウーマン/夢の香り(Scent of a Woman)』では、アル・パチーノがアカデミー主演男優賞を受賞しています。さらに、1993年に公開された『ペリカン文書』(The Pelican Brief)、『ジョイ・ラック・クラブ』(The Joy Luck Club)、『幸福の条件』(Indecent Proposal)などのヒット作や話題作のポスターもトレイジャンを採用していました。

この後はトレイジャンを使うポスターが急激に増加します。

アカデミー賞が贈られた『アポロ13』(Apollo 13、1995年)や『タイタニック』(Titanic、1997年)などでも、ポスターのオリジナルバージョンではトレイジャンを使っていました。トレイジャンはますます定番書体となっていきます。そして、シリアスな作品もコメディ作品も、アクション、SF、恋愛、歴史ものなどジャンルにかかわらず、とりあえずトレイジャンを使えば間違いない!という状況になっていったのです。2010年代中ごろまでこの現象は続きました。

1989年にアドビ社がリリース

Adobe社

・アドビ(Adobe)社 / wolterke – stock.adobe.com

アドビ(Adobe)社は、1989年に社内フォントファンドリーとしてAdobe Originalプログラムを起ちあげました。高品質で模範となるような美しいデジタル書体を提供することが目的です。

スタンフォード大学のデジタルタイポグラフィ課程でコンピューターサイエンスとタイポグラフィデザインを学んだキャロル・トゥオンブリー(Carol Twombly)氏は、1988年から1999年までアドビ社に在籍し、Adobe Originalプログラムのデジタル書体をデザインしました。このとき、ローマ帝国の遺跡「トラヤヌスの記念柱」に刻まれた文字を基にして、トゥオンブリー氏が生み出したのがトレイジャンです。書体名はトラヤヌスの英語表記「Trajan」から付けられました。

トゥオンブリー氏はトレイジャンのほかにも、アドビ・カスロン(Adobe Caslon)、シャールメイン(Charlemagne)、リソス(Lithos)といった書体も手がけました。いずれも古典的な書体に着想を得たデザインです。ロバート・スリムバック(Robert Slimbach)氏とともにミリアド(Myriad)も生み出しました。

アドビ社は、PhotoshopやIllustrator、InDesignの統合パッケージとしてAdobe Creative Suite(CS)を2005年にリリースしました。先に紹介したピータース氏は、CSにトレイジャンがバンドルされていたことが、この書体の利用が増えたことに関係しているかもしれないと言っています。

「トラヤヌスの記念柱」に刻まれた文字

トラヤヌスの記念柱

古代ローマ帝国の遺跡「トラヤヌスの記念柱」はローマにあります。ローマ帝国の五賢帝のひとりであるトラヤヌス帝が、ダキア戦争で勝利したことを記念して建てられた大理石の柱です。113年ごろに完成したとされています。この柱の台座に刻まれているラテン語の碑文が、書体トレイジャンのデザインの基となっています。

大文字だけで彫られた文字は、ローマン体あるいはセリフ体の源と言われています。完成度の高い美しい文字は、何世紀にも渡って文字のお手本とされてきました。また、字間をゆったりと大きくとってあります。

書体デザイナーの小林章氏は、ゴディバ(Godiva)やルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)といったブランドのロゴが高級に感じられる理由は、トラヤヌスの碑文に見られるような古代ローマの文字のプロポーションやバランスを取り入れているからだと分析しています。

書体「トレイジャン」の特徴

Trajanのタイプフェイス

トラヤヌスの碑文は大文字だけで構成されています。古代ローマ時代には小文字はまだ生まれていませんでした。トラヤヌスの碑文を手本に作り出されたトレイジャンにも小文字はありません。その代わりに、スモールキャップが提供されています。

先に紹介したコロンビア・カレッジや農業信用制度のロゴタイプが、大文字とスモールキャップの組み合わせになっています。これは同じテキストサイズ(ポイント)で組まれているということに注意が必要です。大文字の大きさに差をつけているのではありません。スモールキャップのない書体で、大文字のサイズを変えて変化をつけたロゴや見出しがありますが、ストロークの太さの違いなどのために違和感が生まれてしまいます。

文字によってプロポーションが大きく異なっているのも、もうひとつの特徴です。「O」「M」などほぼ正方形の文字がある一方で、「E」「S」などはその半分ほどの幅になっています。これもトラヤヌスの碑文の文字の特徴がトレイジャンで再現されているのです。

長いテールを持つ「Q」、絶妙なカーブの「D」、少し開いた「M」などもトレイジャンの特徴的な文字です。また、「J」「U」「W」「Y」「Z」と言った文字もローマ時代にはなかったのですが、古代ローマン体のもつ優雅さがトゥオンボリ氏のトレイジャンではうまく表現されています。

大学や銀行などの正面にトレイジャンで組んだロゴタイプを掲げれば、古代ローマ遺跡のような堂々とした印象が期待できるでしょう。

平筆による手書きが優雅さのひみつ

セリフの絶妙なカーブやストロークの太さの変化などが古代ローマ文字の美しさを生んでいます。ルネッサンス期には、文字の構造を幾何学的な要素に分解して、直線や円のガイドラインに沿って解析しようとする試みもありました。しかし現在では、石を彫る前に平筆を使って下書きしたことで、トラヤヌスの碑文のような形状になったと考えられています。

平筆でローマン・アルファベットを書くカリグラフィの動画がネットで公開されています。それを見ると、古代ローマ文字やそれに基づいたトレイジャンの字形の理由が納得できるとともに、手書きの奥深さにあらためて驚きをおぼえます。

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執筆・編集ASOBOAD編集部

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