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前回の日記から1年経ったことへの驚き


気がつけば、前回の日記を書いてからもう1年が経っていました。時の流れは常に一定なのに、振り返ってみると、まるで一瞬のようにも、果てしなく長い時間だったようにも思えます。こうした日記は、普段の業務の忙しさに追われる中で、ついつい後回しにしてしまいがちです。ふと、前回更新した記事の日付を見返したところ、それがちょうど昨年の7月だったことに気づき、「もう1年経ったのか」と心底驚きました。

 

実感なき変化の不思議

何にそんなに驚いているかといえば、この1年の間に社会全体が劇的に変化したはずなのに、私たちの身近な肌感覚としては、ほとんど状況が変わっていないように思える点です。

もちろん、実際には変化が起きていることはわかっています。ワクチンの普及や政府、医療従事者、自衛隊など多くの方々の努力によって、コロナ禍という暗いトンネルも徐々に先が見え始め、出口へ向けた歩みが進んでいることを信じています。感染者数や社会的な制約は、当初の絶望的な段階からすれば随分と緩和されてきたでしょうし、世界各国で様々なチャレンジが行われ、その成果が少しずつ反映されているとも思います。

けれども、「実感」として、私たちの業務環境や生活環境には、昨年から大きな変化が感じられません。デザイン業務、とりわけイベント関連の案件はまだまだ限定的です。「以前の日常」は戻ってきたとは言いがたく、パンデミック前と同等の活気を取り戻すには、まだ遠い道のりがあると感じます。

デザイン業界と近隣ビジネスへの影響

私たちが日常的に携わっているデザインワークは、企業やブランド、地域社会、各種イベントなど、実に様々な場面で必要とされるものです。しかし、コロナ禍以降、出会い・交流・集結といった「人が集まること」を前提とする場面は著しく減少しました。展示会や商談会、フェスティバル、コンサート、学会、地域行事など、様々なイベントが中止や延期、縮小を余儀なくされた結果、それに付随する広告物・販促物・ステージデザインなどの仕事は激減しています。

当事務所のご近所を見ても、その影響は痛々しいほど明確です。特に近隣の飲食店や小売店といった、顧客とのリアルな接点を軸にしてきた店舗ビジネスは、この長引く閉塞状況により、存続を脅かされ続けています。私たちのオフィスの目の前で長年愛されていた料理店も、ついに店を閉じてしまいました。そのシャッターが下ろされたままの様子を目にするたび、昨年から流れる時間が、単なる「日々の積み重ね」ではなく、「失われた機会と活気」の積み重ねでもあることを痛感します。

このような周囲の変貌は、まるで街全体に立ち込める霧のような、「分厚い雲」がずっと晴れずにいるような気分をもたらします。それはイベントデザインの案件が減少したという単純なビジネスの話だけでなく、「人と交わる場所」や「生きたコミュニティ」が徐々に姿を消していくことへの、喪失感にも似た感覚です。

 

「閉塞感」と「祈り」と「願い」

ここまで状況が長引くと、閉塞感という言葉では言い表せないほどの、社会的ストレスが溜まっているように思います。「分厚い雲が空を覆うような閉塞感」という表現は、今の状況にまさにぴったりでしょう。かつては当たり前だった「自由な行き来」「人が集う賑わい」「リアルな場での笑顔や握手」といった日常が、ずっと霞んで見えないままなのです。

私たちは、単純に「早く元通りになってほしい」と願っていますが、この祈りはもう何度となく繰り返してきました。1年前も、2年前も、同じような気持ちで「早くこの困難が過ぎ去ってくれれば…」と願い、未知なるワクチンや薬、そして医療体制の改善に希望を託してきました。それは、今も変わりません。

歴史を紐解けば、疫病が猛威を振るうたびに人々は祈りを捧げ、時には大仏を建立したり、壮大な芸術表現で疫病退散を願ったりしてきました。現代社会は科学的知見や医療技術に支えられているとはいえ、先行きが見えない状況に直面すると、人はやはり「祈り」や「願い」を頼りにしてしまいます。失われた日常と未来への希望を求める気持ちは、古代から続く人類共通の営みなのかもしれません。

それでも前を向くために

では、この終わりが見えない日常の中で、私たちがすべきことは何でしょうか。

日々の業務においては、再びイベントが息を吹き返すその時に向けて準備を進めています。印刷物やデジタルデザイン、ブランド開発、販促企画など、デザイン事務所としてできることは決して失われてはいません。今こそ、オンラインとオフラインを融合させたハイブリッドなコミュニケーション手法を研究し、新しい時代に対応できる柔軟な発想を培うチャンスかもしれません。

リスクを分散し、顧客との繋がりを絶やさない工夫を続けることで、再び活気が戻ったときに即座に力を発揮できるように備える。そんな「土台づくり」の時間として、この1年、そしてこれからの日々を位置づけるのも一つの生産的な考え方です。

一方で、目の前の料理店が消えたことに象徴されるように、コミュニティが削られていく過程を見るのは辛いものです。それでも、いつか必ず「光が差し込む日」が来ると信じて、私たちは微かな希望を捨てずにいるのです。その時には、一度失われた日常や賑わいを、今までよりも豊かな形で取り戻すことを目指したい。それは、この停滞を無駄にしないための、私たち自身への誓いでもあります。

 

祈り続ける先に待つもの

昨年から、そしてその前年からも、「祈る・願う」ことばかりが続いています。とはいえ、人類はこれまで数多くの危機を乗り越え、そのたびに新しい価値観やライフスタイル、技術革新を生み出してきました。今回もそうであってほしい、と私は願います。

分厚い雲の向こうには必ず太陽があるはずです。今はその光が見えにくいかもしれませんが、雲が少しずつ裂けて、光が差し込んだとき、その光を全員で分かち合える日常を取り戻したい。そして、その時には私たちのデザインが、人々が再びつながり、笑顔を交わし、音楽やアートに心を震わせる場で、より大きな役割を果たせるようになっていたいと思います。

1年経ち、変わらないように見える日常の中で、実は私たちは小さく変化し、じっと時機を待っています。祈りと願いが込められたこの時間も、きっと未来への糧になると信じて。

 

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