先日、仕事の関係で大阪市内の梅田周辺を歩く機会がありました。通常であれば、週末や休日の梅田は国内外の観光客や買い物客で賑わい、駅前や商業ビル周辺は活気に溢れている印象があります。しかし、その日は明らかに人出が少なく、通りや店舗にも余裕が感じられるほどでした。
正直なところ、人混みが苦手な私にとっては「少しホッとする光景」でもあったのですが、その一方で「なぜ、こんなにも人が少ないのだろう」という疑問が頭をよぎりました。近頃、国内外で流行が懸念されている肺炎—いわゆる新型感染症—が、人々の外出や行動パターンに大きな影響を与えていることは容易に想像できます。実際、大阪だけでなく、観光都市として名高い京都や、他の大都市圏でも同様の傾向が見受けられるようです。飲食店やホテル、観光業界全体が打撃を受け、それに伴って街の「空気感」自体が変化しているように感じました。
情報の真偽とメディアの影響
こうした状況下で、私たちが強く意識すべきなのは「情報を鵜呑みにしない」という態度です。日々、テレビやネット、SNS上では、センセーショナルな見出しが躍り、人々の目を引こうとしています。「危険」「緊急」「衝撃」といった言葉が並び、私たちの不安感を刺激します。けれど、果たしてそれらの情報は本当に正確で、信頼に足るものなのでしょうか?
情報が拡散するスピードはかつてないほど速く、また情報源が多様化している現代では、一見権威がありそうに見える情報でも、裏を取ってみれば根拠が薄かったり、誇張されているケースは少なくありません。特に個人が発信するSNSでは、誰でも簡単に「それらしい情報」を発信・拡散できます。その結果、「数千回リツイートされているから真実だろう」「何万回再生されている動画だから正しいはず」といった、再生数や拡散回数を信頼性の尺度にしてしまう傾向が、私たちの中で無意識的に生まれているのかもしれません。
情報の背後にある意図
情報発信者がいつも「純粋な善意」や「公共の利益」を目的としているわけではない点も見過ごせません。確かに、誠実なジャーナリストや研究者、あるいは正確なデータを提供しようとしている市民もいます。その一方で、視聴率やアクセス数・部数増加・広告収入の獲得といった利己的な動機で、不安を煽ったり不正確な情報を流したりするグループが存在します。
フェイクニュースやデマは、往々にして「驚き」や「恐怖」を強調するため、正確な情報よりも拡散スピードが速い傾向があります。人は驚きを感じるとその情報を人に伝えたくなる心理が働きやすく、結果として不確かな情報ほど加速度的に広がりやすい。これは、私たちが常に警戒すべき「情報拡散の落とし穴」です。
デザインと情報の類似性
こういった情報の扱い方は、実は私たちが制作する広告デザインの領域にも通じるところがあります。デザインは、視覚的な要素(色・形・文字組み・レイアウト・写真)を用いて、見る人に特定の印象を与えたり、あるメッセージへと誘導したりする「コミュニケーション」の手段です。適切なデザインは、商品やサービスの魅力を最大限に引き出すことができます。たとえば、色彩心理を応用することでポジティブな印象を与えたり、目立つ配置によって注目度を上げたりと、受け手の行動や意識をある程度コントロールすることも可能です。
一方で、この「コントロールし得る力」は、人を操作したり、誤解を与えたりする方向にも使えます。広告枠やサイネージの「一等地」に掲出されている情報だからといって、それが必ずしも正しい情報とは限りません。極端な例では、戦時下のプロパガンダポスターが人々の感情を煽り、特定の方向性へと世論を誘導しました。デザインは強い「力」を持ち、その使い方次第で良くも悪くも世の中に影響を与えうるものなのです。
情報の判断と自己責任
最終的に、どの情報を信じ、そこから何を行動指針にするかは私たち自身の責任です。私たちが暮らす現代社会では、ネット検索やSNSを介して、瞬時に膨大なデータや記事、コメントにアクセスできます。必要な情報を入手することが格段に容易になった一方で、誤った情報、偏った意見、無責任な主張にも数多く触れることになります。
だからこそ、「この情報は信頼に足るのか?」「情報源はどこか?」「一次情報や裏付けとなるエビデンスは提示されているか?」といった問いを常に持ち続けることが重要です。特に何らかの行動を起こす前、たとえば特定の商品を購入する、イベントに参加する、あるいは政策や投資を判断する場合にはなおさら慎重さが求められます。
デザイン事務所として、私たちは「情報を伝える」側の一員でもあり、同時に「情報を受け取る」生活者でもあります。より責任ある情報発信者となるためには、表面的な話題性や刺激ではなく、根拠や信頼性、社会的意義を重視する姿勢が求められます。また、デザインを生み出すプロセスでも、「この表現は誤解を招かないか」「事実を捻じ曲げていないか」を省みる必要があるでしょう。
これからの時代、テクノロジーはさらに進化し、情報流通はより高速化・多様化していくでしょう。その中で私たちができることは、情報の精査力を高め、判断する力を磨くことです。それは、健全なメディア環境を育み、社会全体の質を向上させるために欠かせない「自衛手段」でもあります。
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