1939年に勃発した第二次世界大戦の当事国であった英国では、軍隊への入隊をはじめ、生活のさまざまな面での協力を国民に呼びかけました。アブラム ・ゲームズ(Abram Games)は唯一の「戦時ポスター公認アーティスト」として軍隊と国民に向けてポスターを数多く制作しました。
また、戦後にゲームズが手がけたデザインは、国際連合、運輸、航空、石油、新聞、ビール醸造など様々な分野の広告から書籍や切手まで広範囲におよびます。
アブラム ・ゲームズによる戦時下のポスターデザイン
アブラム ・ゲームズは入隊後に軍の広報部に配属され、約100点のポスターを制作します。
プロバガンダポスター (via Pinterest)
アブラム ・ゲームズはポスター制作を続けるうちに自由裁量が認められるようになりました。軍にとって必要であるとゲームズが考えるものは自分の判断でデザインしてよいということです。これは前例のないことでした。戦時下のポスター制作においてゲームズは、扇動者であり、デザイナーであり、コピーライターでもありました。
戦時下のポスター作例 (via Pinterest)
うわさ話や不用意なことばが仲間を危険な状況に陥れるおそれがあることを喚起する兵士向けのポスターがあります。「うわさ話が仲間を殺す」(Your talk may kill your comrades)というキャッチの付いたポスターは、兵士の口から発せられた言葉が螺旋(らせん)を描きながら銃剣に変容し、仲間の兵士の胸を貫くショッキングなものです。
ゲームズは自分の創作の仕方についてこのような言葉を残しています。
「私がバネを巻き、ポスターを見た大衆の頭の中でそのバネが弾(はじ)けるのです」
美しすぎた「ブロンド爆弾」
軍から信頼されて制作を続けたゲームズですが、当局から拒絶されたポスターが2点ありました。
そのひとつに、のちに「金髪美女」(blonde bombshell)と呼ばれたポスターがあります。「bombshell」の意味は爆弾ですが、セクシーな金髪美女のことを俗語で「blonde bombshell」と呼びました。
・Join the ATS (1941)
1941年に制作されたこのポスターは「ATS」というイギリス陸軍が組織した女性部隊へのリクルートを目的としたものです。イラストとタイポグラフィーで構成されたシンプルで力強い作品でした。しかし口紅をつけた女性兵士が魅力的に描かれすぎて化粧品の広告に見える点が論議を呼びます。戦時下のリクルートポスターとしてはふさわしくないと考えた当局によって、このポスターは2度と印刷されませんでした。
「最大限の意味を最小限の手段で」
アブラム ・ゲームズの創作上のキャッチフレーズは
「最大限の意味を最小限の手段で(maximum meaning minimum means)」
というものです。
戦争以前の1937年に制作したロンドン交通局のポスターがその恒例でしょう。
ロンドン交通局のポスターデザイン (via Pinterest)
ロンドン地下鉄の本数の多さを訴求するポスターは、ロゴから曲線を描いて飛び出す帯に「90分ごとに運行」というテキストがあるだけのシンプルなものです。余分なものが一切ありません。
また、世界的な戦争状態の中では船が敵国の攻撃を受けるなどして海外からの輸入が制限されるために、農作物などの自給が促されていました。
戦争下のポスター作成例 (via Pinterest)
「自分の食べ物を育てよう」という1942年発表のポスターは、左右対称の構図の左半分が耕地と鋤(すき)、右半分が海と汽船になっています。そして「鋤(すき)を使おう、船ではなく」という文字が添えられています。どちらかといえば説明が長くなりがちな複雑な内容を少ない要素で簡潔にまとめてあります。この作品ではカッサンドルの影響も見てとれます。
アブラム ・ゲームズの戦後のデザイナーとしての活躍
第二次世界大戦が終わると、ゲームズは入隊前と同じフリーランスデザイナーに戻りました。戦争中のポスター制作で大きな成功をおさめたゲームズは様々なクライアントから広告やロゴのデザインの依頼が集まります。
オリンピックの切手デザイン (via Pinterest)
1948年にロンドンで開催された夏季オリンピックの記念切手をゲームズは制作しています。このため彼には「オリンピック・ゲームズ」というニックネームが付けられました。
・The Festival of Britain emblem
また、戦勝国ながら被害が甚大だった英国民の心の復興を目指して1951年に開催された「Festival of Britain(英国博覧会)」のエンブレムもアブラム ・ゲームズが手がけました。
1976年にはロンドン交通局の依頼でロンドン動物園のポスターを制作しています。
ロンドン動物園のポスターデザイン (via Pinterest)
どことなく路線図を思わせる幾何学図形で描かれたトラに地下鉄のロゴと「Zoo」の文字が組み合わされています。戦時とはまったくテイストの異なる楽しい作品です。このグラフィックは後にロンドン地下鉄150周年記念切手にも採用されました。
BOAC(航空会社)のポスターデザイン
戦後のクライアントには、フィナンシャル・タイム、BBC、英国航空、シェル石油、ギネスビール、ロンドン交通局、ペンギンブックスなど英国を代表する組織や企業が名を連ねています。
航空会社のキャンペーンポスター (via Pinterest)
英国航空の前身である英国海外航空(BOAC)の米国旅行のキャンペーンポスターがあります。米国の象徴のひとつであるカウボーイのイラストが中央に大きく描かれています。カウボーイハットの山は高層ビル、ツバはBOACの尾翼がふたつ組み合わさっています。ネッカチーフは星条旗。テキスト要素は、左上に「USA」、右上に「BOACで行こう」、下に小さく社名があるだけです。
ゲームズはポスターのアイデアを考えるとき決して大きく描くことはなかったようです。ポスターは遠くから見られるものであるので、
「1インチの高さで描いたアイデアがうまくいっていないのであれば、(ポスターになっても)決してうまくいかない」
とゲームズは言っています。
航空会社のキャンペーンポスター (via Pinterest)
「BOACで六大陸すべてに飛んで行けます」というテイストの異なるBOACの別のポスターがあります。青空を背景にロゴが白抜きで中央に配置され、そこから半透明の矢印が6本拡がっているのですが、これもゲームズの考える「最大限の意味を最小限の手段で」というスタイルの典型的なサンプルでしょう。
サインのピリオドの意味
ゲームズのポスターの多くには手書きの「A. Games.」という小さなサインが入っています。英語の正書法では「Abram」を省略した「A」にはピリオドを入れますが、省略していない「Games」には必要ありません。ここにはゲームズの創作過程のちょっとした秘密がありました。
ポスターのラフなアイデアができると、ゲームズは妻や子供、友人に見せて、意図が伝わらなければまた一から作り直したそうです。その過程を経て、あるアイデアに基づくポスターが完成すると「A. Games」とサインします。1週間スタジオの壁に掲げて、同僚や家族、友人に批評してもらいます。そして、その結果に満足すると、もう1個のピリオドを名前の後に付け加えたそうです。
BBC初の動画シンボルデザインを作成
英国放送協会(BBC)は1936年に世界で初めてテレビ放送をおこないました。1953年に初めて動画の局名告知画面を作ったのもゲームズです。
いまのように簡単には動画イメージを作成できなかったのでピアノ線や閃光ライトなどを使ってモックアップが作られました。
フリーランス・デザイナーとしての活躍・キャリア
アブラム ・ゲームズは1914年ロンドンに生まれました。父親はラトビアから英国に移民してきた写真家でした。ゲームズは美術学校に入りますが、教育スタイルに失望し、ほどなく退学。ロンドンの広告デザイン会社でアシスタントとして働きながらアートを独学します。この間、父親のカメラマン助手もしました。そして、1935年にロンドン市議会がおこなったポスターコンテストで優勝します。このことをきっかけに1936年からはフリーランスのグラフィックデザイナーとして、ロンドン交通局や郵政省、シェル石油などのポスターを請け負うようになりました。
第2次世界大戦が起こり、1940年に招集されたゲームズは1941年に陸軍省(戦争省)の配属となり、終戦までポスターや地図、本の表紙やエンブレムなどを制作します。
戦争が終結すると再びフリーランスとしてグラフィックデザインの仕事に戻ります。ゲームズは1996年に亡くなるまですべての仕事をひとりでこなしました。デザイナーとしてのキャリアは60年にもおよびます。
アブラム ・ゲームズ(Abram Games)
1914年~1996年
英国
グラフィックデザイナー
【参考資料】
・Abram Games、Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Abram_Games)
・abramgames.com(https://www.abramgames.com/home)
・Abram Games poster designs – in pictures、The Guardian(https://www.theguardian.com/artanddesign/2014/aug/23/abram-games-poster-designs-in-pictures)
・Obituary: Abraham Games、The Independent(https://www.independent.co.uk/news/people/obituary-abraham-games-1311967.html)
・Abram Games, ABCA and the fight for post-war change、National Army Museum(https://www.nam.ac.uk/explore/abram-games-abca-and-fight-post-war-change)