キャサリン・マッコイ(Katherine McCoy)は、いくつかのデザイン会社でデザイナーとしてのキャリアを築いた後に、クランブルック・アカデミー・オブ・アート(Cranbook Academy of Art)で伝統にとらわれない実験的な教育プログラムを作り上げました。
デザインに意味論的アプローチを持ち込むことで、才能ある学生たちにモダニズムとは異なる視点をもたらし、米国のグラフィック界の新しい地平線を切り拓きました。
学生募集ポスターデザイン
キャサリン・マッコイが1989年にデザインしたクランブルック・アカデミー・オブ・アートの学生募集ポスターがあります。
ポスターデザインを見る (via Pinterest)
ポスターは、中央のタテ線を軸に、ざっくりと左右対象の構図になっています。左の白いボックスには「program」(プログラム)、右の白いボックスには「design」(デザイン)とあります。その下の白地の大きなエリアの四隅には、「see」(見る)、「image」(イメージ)、「read」(読む)、「text」(テキスト)が配置され、点線で結ばれています。面白いのは「see — image」「read — text」だけでなく、斜めの線で「see — text」「read — image」も結ばれていることです。
また、紙面の真ん中のコラージュの上からテキストがセンター揃えでリストアップされています。文字はよく見ると対立する二つの単語をつないで一行にしたものです。たとえば、芸術・科学、分析・統合、言葉・思考、形式・内容、といった感じです。
このポスターは脱構造主義的なアプローチでテキストとイメージを構成しているのです。左側にはこのアカデミーの2Dプログラム(グラフィックデザインなど)に関連する画像がピンクで、右側には3Dプログラム(インダストリアルデザインなど)に関連する画像がブルーでコラージュされています。テキストとともに全体で、クランブルック・アカデミー・オブ・アートのプログラムの理念や内容を言語的かつ視覚的に表しています。ポストモダン・デザインの代表的な作品です。
デザインとコミュニケーションについて
あるインタビューの中でデザインとコミュニケーションについてキャサリン・マッコイは、「デザイナーは一つの言語で表現するのではなく、多様なグラフィック言語を用いて 『語りかける』 準備をすべき」であると語っています。そして、「対象のオーディエンスに適切に語りかけるメッセージで、オーディエンスそれぞれの言語、文化的価値、必要性、好みなどと共鳴するメッセージをどうデザインするか」を探求していると述べました。
デザイナーは世界の文化の多様性を尊重する方法や戦略を探すべきであり、デザイナーが意味を声高に伝えるのではなく、「意味を持ちうるものを提供して、受け手がそれぞれ自分自身の文脈でメッセージを解釈し、能動的あるいは批判的に考えるように促さなければならない」と言っています。
モダニズムデザインの修行時代
キャサリン・マッコイは1945年に米国イリノイ州で生まれました。10代後半で家族との旅行で立ち寄ったニューヨーク近代美術館(MoMA)でマッコイはデザインの力に感銘をうけ、ミシガン州立大学でインダストリアルデザインを学びます。1967年に卒業するとユニマーク・インターナショナル(Unimark International)に入社し、タイポグラフィを学び、スイススタイルのモダニズムデザインを身につけました。
ユニマーク・インターナショナル社について
ユニマーク・インターナショナルはモダニズムに基づいた活動で米国のグラフィック界に大きな影響を及ぼし、一時は世界最大のデザイン会社でした(1977年に消滅)。デザイナーをアーティストとみなす考え方を拒否し、標準化・システム化を取り入れていました。コーポレート・アイデンティティやブランディングの先駆的デザイン事務所で、アメリカン航空(American Airlines)、フォード(Ford)、ノル(Knoll)、アジップ(Agip)のロゴやニューヨーク市地下鉄路線図が知られています。
・フォードのロゴ / eyewave – stock.adobe.com
・Agipのロゴ / “>Birgit Reitz-Hofmann – stock.adobe.com
マッコイは、ユニマークを退社した後、クライスラー社(Chrysler Corporation)のCI部門をはじめ、いくつかのデザインスタジオや広告会社で働き、多くのグラフィックデザイナーやイラストレーターと出会います。その中にはマサチューセッツ工科大学出版局(MIT Press)のミニマルなロゴを制作したミュリエル・クーパー(Muriel Cooper)やOutWestフォントを作ったエドワード・フェラ(Edward Fella)などがいました。
教育者として米国グラフィックデザイン界に貢献
1971年にインダストリアル・デザイナーである夫のマイケル・マッコイ(Michael McCoy)とともにマッコイ&マッコイ(McCoy & McCoy)社を設立します。この年にキャサリンは夫のマイケルとともに美術大学院クランブルック・アカデミー・オブ・アートの共同学部長に指名され、1995年まで2Dデザインプログラム担当として同アカデミーのグラフィックデザイン教育に携わります。
クランブルック・アカデミー・オブ・アートはアート・アンド・クラフト運動の理念を受け継いで1932年に設立された世界的な美術とデザイン専門の大学院です。卒業生にはチャールズ・イームズなど著名なデザイナーが多く含まれています。クランブルックを離れた後は、マッコイ&マッコイ社を共同経営しながら、イリノイ工科大学上級講師、米インダストリアルデザイナー協会会長などを務めるとともに、デザインに関する書籍を出版しています。
「読む」ことと「書く」こと
マッコイは「読む」ことで多くを学び、「書く」ことにも意欲的でした。
彼女が学生のころの米国では、デザイナーは読んだり書いたりすることはあまりなく、もっぱら作品を作ることだけで自己表現をしていました。一方、スイスデザインの書籍は輸入されていて、マッコイはそこからレイアウトやタイポグラフィについての多くを吸収していきます。ポスト・モダニズム、意味論、脱構造主義なども旺盛な読書欲を通して学んだのです。
キャサリン・マッコイがクランブルック・アカデミー・オブ・アートの学部長に就任したころ、建築や美術の分野では歴史や理論についての書籍が多く出版され、批評も書かれていました。しかし、グラフィックデザインに関してはそのような書籍は数えるほどしかありませんでした。グラフィックデザイナーの歴史を教えるために、マッコイはデザイナーについて調査するというプロジェクトを学生に課しました。学生は、調査結果を画像とテキストで構成したポスターにまとめ、そのデザイナーについての知識をクラスメートに教えるというわけです。
70年代中期にはデザインについての雑誌を刊行しました。このころにマッコイは自分が「書く」ことが好きであると自覚したといいます。アカデミーのプログラムでの「書く」ことの比重も徐々に大きくなっていきました。たとえば、学生は自分の視覚的デザインプロジェクトに加え、その正当性をテキストで言明し、参考文献を添える必要がありました。
『ID Magazine』誌(1988年)の見開きページ (via Pinterest)
キャサリン・マッコイのエッセイが掲載された『ID Magazine』誌(1988年)の見開きページは、マッコイ本人がデザインにも関わっています。キャサリン・マッコイの理論と実践が凝縮された代表的な実例です。
キャサリン・マッコイ(Katherine McCoy)
1945年〜
米国
グラフィックデザイナー、教育者
【参考資料】
・Katherine McCoy、Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Katherine_McCoy)
・Cranbrook Art Museum(https://cranbrookartmuseum.org/artwork/katherine-mccoy-posters-the-graduate-program-in-design/)
・1999 AIGA Medalist: Katherine McCoy(https://www.aiga.org/medalist-katherinemccoy)
・Eye Magazine | Feature | Reputations: Katherine McCoy(http://www.eyemagazine.com/feature/article/katherine-mccoy)
・QUALITY OF INFORMATION. INTERVIEW WITH KATHERINE MCCOY, GRAPHIC DESIGNER | ico-D(https://www.ico-d.org/connect/features/post/123.php)
・Unimark International、Wikipedia(https://en.m.wikipedia.org/wiki/Unimark_International)
・Cranbrook Art Museum(http://www.visualogue.com/interview/mccoy_itv_j.html)