グラフィックデザイナーに限らず欧文書体に関心のある人なら「Avant Garde」(アヴァンギャルド)という名前の書体を一度は見たり使ったりしたことがあると思います。この書体を作ったのがハーブ・ルバーリン(Herb Lubalin)です。
文筆家でフォトジャーナリストのラルフ・ギンズバーグ(Ralph Ginzburg)とともにアートディレクターとして3つの雑誌を発行しました。先進的なレイアウトとタイポグラフィは、挑戦的なコンテンツとあいまって人々に大きな衝撃を与えました。
ラルフ・ギンズバーグと刊行した3つの雑誌
ルバーリンはラルフ・ギンズバーグとともに『エロス』(Eros)『ファクト』(Fact)『アヴァンギャルド』(Avant Garde)という3種の雑誌を刊行しました。ギンズバーグは執筆・編集を担当し、デザインとレイアウトはすべてルバーリンに任せます。写真植字が普及しつつある時期で、ルバーリンは文字を自在に拡大変形させてダイナミックなレイアウトを創造性豊かに示しました。
雑誌『エロス』(Eros)表紙デザイン (via Pinterest)
雑誌『エロス』は、1962年のバレンタインデーに発行されました。愛と性をテーマにしたこの季刊誌は大判のハードカバーで、広告は掲載せず、通販でのみ入手可能、という当時としては非常にユニークなものでした。1960年代のカウンターカルチャーと性解放のうねりを真正面からとらえた『エロス』誌は、米国郵政公社からわいせつ罪で訴えられ、わずか4冊で廃刊となります。
雑誌『ファクト』(Fact)表紙デザイン (via Pinterest)
1964年、ギンズバーグは次に『ファクト』誌を発行します。メインストリームのメディアでは執筆できない反体制派のライターたちに記事を書かせました。『エロス』誌とはうってかわって非塗工紙にモノクロ印刷というシンプルな体裁で、2コラムレイアウトにセリフ書体でミニマルにデザインされました。これは予算の制約もありますが、挑発的とも言えるコンテンツを際立たせるためにルバーリンがあえて選んだものです。雑誌タイトルは「Caslon 540」(カスロン540)をベースにしながら「f」を「t」と似たシルエットに変形させたり、コロンを「t」の懐に詰め込んだりして手を加えられました。表紙上部の「fact:」(=事実)の下にその内容、すなわちその号のテーマが示されるという巧みな構成になっています。政治家についての記事を訴えられ、1967年に廃刊に追い込まれます。
雑誌『アヴァンギャルド』(Avant Garde)表紙デザイン (via Pinterest)
1968年には今度は『アヴァンギャルド』誌を発行。『エロス』誌と『ファクト』誌を統合したような内容で、政治・司法・社会・芸術をテーマにした芸術写真誌です。ルバーリンは創造性を発揮して様々なデザイン的試みをおこないます。例えば見開きいっぱいの大見出しなどは当時は珍しいものでした。『アヴァンギャルド』誌は商業的に成功を収めますが14号まで発行したのち1971年に廃刊となります。同誌はとりわけニューヨークのデザイン界に大きな影響を及ぼしました。
「Avant Garde」書体の誕生
『アヴァンギャルド』誌のもうひとつの功績は「Avant Garde」という書体が生まれたことです。タイトルロゴとして制作された文字は、大きな曲線と直線で構成されています。傾いた「A」「V」も印象的ですが、中でも特徴的なのは「NT」「GA」などの合字(リガチャ)です。
デザインを見る (via Pinterest)
この書体はアール・デコのポストモダニズム的解釈と言われています。ルバーリンはスイス・スタイルには否定的でした。「Avant Garde」書体を単なるサンセリフの1種と考えている人は『アヴァンギャルド』誌のタイトルロゴを見ると意外に思うかもしれません。
ルバーリンは1970年にフォントベンダー「International Typeface Corporation」(ITC社)を共同設立し、リガチャや傾きのバリエーションを豊富に持つフルセットの「Avant Garde Gothic」としてリリースしました。世界中のデザイナーが飛びつきましたが、誤った使い方が氾濫しているのを見てリリースを後悔します。そのとき、ヘルムート・クローン(Helmut Krone)によるアウディ(Audi)の広告での「Avant Garde」の使い方を見て自信を取り戻しました。
アウディの広告デザイン (via Pinterest)
「PBS」のロゴデザイン
米国の公共放送ネットワーク「PBS」(Public Broadcasting Service)のロゴマークは「P」を横顔に見立たもので「Pヘッド」の愛称で親しまれています。人の頭に見立てたPをロゴマークにすることを思いついたのはハーブ・ルバーリンです。
公共放送であることから「人々」の象徴として人の横顔にしました。本人がロゴ確定までの過程を楽しく解説している動画がネット上で見られます。デザイン事務所 チャマイエフ & ガイスマー(Chermayeff & Geismar)が1984年にロゴをリニューアルしたときに顔は右向きに反転されました。
「PBS」の最近ロゴ (via Pinterest)
また米国の4大テレビ放送ネットワークのひとつ「NBC」はテレビのカラー化に合わせて1956年にロゴをクジャクのモチーフにリニューアルしましたが、これにもルバーリンは関わっています。クジャクのシンボルは登場と退場を何度か繰り返し、改訂されながら現在でも使われています。最新のバージョンは1986年にチャマイエフ & ガイスマー事務所によってリ・デザインされたものです。
タイポグラフィへの新しいアプローチ
ギンズバーグと発行した雑誌や書体「Avant Garde Gothic」に焦点があたりがちなルバーリンですが、放送ネットワークのロゴの例に見られるようにアイデアに満ちあふれた人だったようです。それは広告やロゴの制作にも発揮されました。1950年代に医薬品専門の広告代理店サドラー&ヘネシー(Sudler & Hennessey)に在籍中に制作した風邪薬の広告では、「break up cough」(咳を断ち切る)というキャッチコピーの意味をテキスト自身で表現しています。
風邪薬の広告デザイン (via Pinterest)
「タイポグラフィは紙面に文字を置くだけのものではなく、イラストや写真のように視覚的に説明できるメディアだといつも思っていた。」とルバーリンは言っています。タイポグラフィに対するこのようなアプローチを彼は晩年に「グラフィック表現主義」(Graphic Expressionism)と呼んでいました。
ルバーリンは文字の扱いにすぐれていただけでなく、彼自身コピーライターとしての能力も高かったようです。キャッチもコピーも自分で作った広告も多かったと語っています。
タイポグラフィ専門誌『U&lc』のデザイン
ITC社は世界で初めて出版社やタイプセッターに書体をライセンス供給するというビジネスモデルを実現した会社です。ハーブ・ルバーリンは1970年にITC社から『U&lc』というタイポグラフィ専門誌を発行します。
デザインを見る (via Pinterest)
タイトルはUPPER CASE(大文字)とlower case(小文字)の頭文字を組み合わせたものです。ITC社からリリースされる書体の見本であると同時に、ルバーリンのさまざま実験や世界中の先進的な作品を紹介する場でもありました。『U&lc』誌は1999年まで続きました。
文字に魅せられタイポグラフィの世界を切り拓く
ハーブ・ルバーリンは1918年にニューヨークで双子の弟として生まれました。家族は彼が色盲であることがわかっていましたが、ルバーリンのアーティスティックな才能を認めていました。しかしそれほど強い意欲はなく、名門クーパー・ユニオン大学には最下位で入学。在学中にタイポグラフィの魅力に目覚め、1939年に優秀な成績で卒業し、グラフィックデザインの世界に入ります。
いくつかの職を経て1945年にサドラー&ヘネシー社(Sudler & Hennessey)に入社。数々のすぐれた広告作品で高い評価を得て、1955年には同社のパートナーとなり社名もサドラー・ヘネシー&ルバーリン(Sudler, Hennessey & Lubalin)となります。
1964年に同社を去って個人事務所を開き、多くの優秀な才能を発掘しました。1970年にITCを共同設立して、新しいフォントをリリースするとともに歴史的な書体の復活にも力を注ぎます。
アートディレクターとして『U&lc』誌に生涯携わり、1981年63歳で永眠しました。
ハーブ・ルバーリン(Herb Lubalin)
1918年〜1981年
米国
グラフィックデザイナー、タイポグラファー
【参考資料】
・Raymond Loewy、Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Raymond_Loewy)
・Lubalin 100(http://www.lubalin100.com/)
・Eros(http://eros.110west40th.com/)
・Fact(http://fact.110west40th.com/)
・Avant Garde(http://avantgarde.110west40th.com/)
・Ten Things You Should Know About Herb Lubalin、Unit Editions(https://www.uniteditions.com/blogs/news/ten-things-you-should-know-about-herb-lubalin)
・HERB LUBALIN, GRAPHIC DESIGNER FOR PUBLICATIONS AND ADVERTISING、The New York Times(https://www.nytimes.com/1981/05/26/obituaries/herb-lubalin-graphic-designer-for-publications-and-advertising.html)
・Meaning Public Broadcasting Service logo and symbol、history and evolution(https://1000logos.net/public-broadcasting-service-logo/)
・ハーブ・ルバーリン、Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/ハーブ・ルバーリン)
・ハーブ・ルバーリン氏とのインタヴュー、 創造と環境(コピーライター西尾忠久)(https://chuukyuu.hatenablog.com/entry/20080703/1206167260)
・20世紀デザイン – グラフィックスタイルとタイポグラフィの100年史(トニー・セダン著、東京美術)