カナダに関してまず思い浮かぶものを問われたら、国旗にもあしらわれているカエデでしょうか。動物好きならばムース(ヘラジカ)やビーバーかもしれません。もしグラフィックデザイナーにたずねたら、カナディアン・ナショナル鉄道のロゴと答える人もいるのではないでしょうか。頭文字「CN」をベースに約60年前に作られたロゴは今でも古さを感じさせません。
Fleming in 1959 / Wikipedia
その作者が、カナダのデザイン界に大きな功績を残したグラフィックデザイナー、アラン・フレミング(Allan Fleming)です。
時を超える「CN」ロゴ
・カナディアン・ナショナル鉄道のロゴ / Kevin Brine – stock.adobe.com
カナディアン・ナショナル鉄道(Canadian National Railway)は、カナダの大西洋側から太平洋側までを結び、また、アメリカ合衆国を縦断してメキシコ湾まで達するカナダ最大の鉄道会社です。前身は1918年創立のカナダ国有鉄道(CNR)で、1995年に民営化されたのちも「ナショナル(National)」は企業名に残りました。
鉄道会社のブランディング
当時『カナディアン・ナショナル鉄道が「古い」「遅れている」会社であり改革を嫌っている』と一般に思われていることが調査でわかり、同社は衝撃を受けました。自分たちが目指しているものと反対の結果だった為、イメージ刷新をはかります。
トレードマークを新しくすれば、当時の鉄道業界の流れであったカスタマー・フレンドリーで技術的に進んだ鉄道のイメージが得られるだろうと考えた同社は、ニューヨークの産業デザイナー、ジェームズ・ヴァルカス(James Valkus)に問題解決を依頼します。解決策を検討したヴァルカスは、単なるマーク変更ではなく車両への塗装や建物の外装から乗客へ提供される小物までのすべてを視覚的に見直す必要がある、と確信しました。そしてそのリ・デザイン計画の核心であるロゴ制作を若きアラン・フレミングに託しました。
機内でナプキンに描きつけたスケッチ
フレミングはさまざまなアイデアを検討します。カナダは英語とフランス語のふたつの言語を公用語としているため、ひとつのロゴで共用できるように鉄道(railways)の頭文字Rを外して「CN」とします。また、当時のカナディアン・ナショナル鉄道はホテルや電信電話、フェリー会社など鉄道以外の事業も多角的におこなっていたため、これは理にかなっていました。
この「CN」のアイデアスケッチのいくつかを今も見ることができます。「C」と「N」をつなげて手書きした上で一部を矢印に変えた案や、その形を整えて最終案と同じテイストに仕上げたものなど興味深いです。
ロゴのラフスケッチ (via Pinterest)
フレミングが決定的なアイデアを思いついたのはニューヨークへ向かう機内でのことだと言われています。フレミングは思いついたアイデアをナプキンに描きつけたあと、ドラフトにまとめてプレゼンしました。そして、ヴァルカスとともに現在の形にまで仕上げました。最終案よりもかなり太めの途中のバージョンに対して、「もっと細くすれば完成だ」とヴァルカスがコメントを残している画像も見ることができます。
「少なくとも50年は使える」
フレミングは「CN」ロゴのコンセプトを考える際に、十字架やエジプトの象形文字など、時が経っても古びない過去のシンボルを研究しました。そして、”単一の太さの線を使う”というアイデアを得ました。
ひと続きの線で描かれたロゴは、「C」から「N」へと目でたどることで流れと動きを感じさせます。「ある地点から別の地点への人・物・情報の動き」をシンボル化したものであり、「結果的にCNというスペルになった鉄道ルートである」とフレミングは述べています。
また、動物や野菜などのシンボルもアイデアから外していました。そういった絵をシンボル化すると、5年、10年経った時点ですでに古さを感じると考えたからです。当時のカナディアン・ナショナル鉄道のロゴはカエデの葉をモチーフにしていました。それと比べるとフレミングの案の先進性が際立ちます。
by Wikipedia
このロゴについてフレミングはこう言っています。
「このシンボルは少なくとも50年は使えるだろう。未来を念頭に置いてデザインしているのでどんな修正も必要ないと思う」
Bruce Leighty – stock.adobe.com
フレミングの「CN」ロゴは既に現役を続けてほぼ60年になります。
オンタリオ州の水力発電企業のロゴデザイン
オンタリオハイドロ社のロゴ (via Pinterest)
オンタリオ州の公営水力発電企業オンタリオ・ハイドロ社(1999年に分割民営化)のロゴをフレミングは1962年に作成しました(公表は1965年)。同社の発注を受けたトロントのデザインスタジオ、ハザウェイ・テンプルトン(Hathaway Templeton)がフレミングに制作を依頼したものです。
オンタリオ・ハイドロ社(Ontario Hydro)の頭文字が電源プラグになっています。エネルギーを表すために朱色とオレンジが選ばれました。小文字のみのワードロゴとの組み合わせバージョンではシンボルマークと同じく45度に傾けられ、ケーブルのように見せることで「つながっている」ことをイメージしています。
カナダを変えたロゴデザインたち
オンタリオ科学センターのロゴ (via Pinterest)
1968年に制作されたオンタリオ科学センター(Ontario Science Centre)のロゴは今でも現役です。
グレイ・コーチ社のロゴ (via Pinterest)
1972年に作られたバス会社、グレイ・コーチ社(Gray Coach Lines)のロゴは同社が1992年にグレイハウンド社に売却されるまで使われていました。
また、雑誌の表紙デザインや編集、書籍デザイン、 切手デザインなど幅広い分野で活躍し、カナダにおけるビジュアルデザインの向上への貢献は極めて大きいものです。
アラン・フレミングの経歴
アラン・フレミングは1929年にカナダのオンタリオ州トロント市に生まれました。専門学校を16歳で卒業すると見習いデザイナーを皮切りにイラストレーター、レイアウター、アートディレクターとしていくつかの事務所で働きました。その後1953年から2年間英国で書体と本について学びます。
カナダに戻るとアートスクールの非常勤講師をしながらフリーランスデザイナーとして働いたのち、広告印刷会社クーパー&ビーティー(Cooper & Beatty)でタイポグラフィ・デザイナーおよびクリエイティブディレクターとして『Mayfair』誌の表紙や様々な雑誌広告を手がけます。その後『Maclean’s』誌のアートディレクター、マクラーレン広告社(MacLaren Advertising)のクリエイティブディレクターを経て、トロント大学出版局(University of Toronto Press)で書籍デザインのチーフを晩年まで務めました。
アラン・フレミング(Allan Fleming)
1929年~1977年
カナダ
グラフィックデザイナー
【参考資料】
・Allan Fleming、Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Allan_Fleming)
・Allan Fleming: The man who branded a nation、Eye Magazine(http://www.eyemagazine.com/feature/article/allan-fleming-the-man-who-branded-a-nation)
・Allan Fleming Canada National logo design、Creative Review(https://www.creativereview.co.uk/allan-fleming-logo-design-canadian-national/)
・Allan Fleming、AGI(http://a-g-i.org/user/allanrobbfleming/view/projects/)
・カナディアン・ナショナル鉄道、Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/カナディアン・ナショナル鉄道)
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