ポール・ランド(Paul Rand)は、20世紀のグラフィックデザイン界にもっとも大きな影響をもたらしたデザイナーのひとりです。ロゴデザインについて語るなら、ポール・ランドの名前ははずせません。1960年代に制作したIBMやABCのコーポレートロゴが現在でも使われていることからも、彼の偉業の一端がうかがえます。ビジネスにとってデザインが効果的なツールであることを体現したのがポール・ランドです。また、グラフィックデザイナーという職業の地位確立にも大いに貢献しました。
Portrait of graphic designer, Paul Rand. by Wikipedia
IBMのコーポレートアイデンティティの構築
あらためて説明はいらないかもしれませんが、IBMは米国を代表する世界最大級のIT企業です。極太のスラブフォントで組まれたスリット入りのブルーのロゴは、すぐに思い浮かべることができると思います。
JuliusKielaitis / Shutterstock.com
1956年にIBMは、製品から建物そしてロゴに至るまでの全社的な企業デザインを構築するために、外部の専門家による特別チームを編成します。その一員だったポール・ランドは、従来のロゴのテイストを踏襲しつつ新しいロゴを作成します。現在のロゴのスリットのないバージョンです。
しかし、細かい部分の手直しが必要だと考えたランドは、さらに何年も試行錯誤を続けます。そして同社のコンピューター事業の拡大に合わせ、ついに1972年に新しいロゴを発表します。8本のストライプに「スピード感と効率」の意味が込められているお馴染みのロゴです。それが半世紀後の現在も使われているのです。
その後も、ステーショナリーから看板、壁紙までの総合的なCIマニュアルの編集・改編を続けました。世界に先駆けてコーポレートアイデンティティ(CI)システムを構築したのがポール・ランドであるといわれています。
半世紀以上も生き続けるWestinghouseのロゴ
ウェスティングハウスは電力から家電までを扱う歴史的な企業でしたが、現在はウェスティングハウスのブランドを管理するウェスティングハウス・ライセンシング・コーポレーションのみ存在しています。
・ウェスティングハウスのロゴ / “>Игорь Головнёв – stock.adobe.com
そのブランドとして現在でも使われているのが1959年にポール・ランドが制作したロゴです。頭文字「W」をモチーフにして、シンプルな丸と直線で構成されたシンボルマークは、ユーモラスで愛らしいものです。水平に並んだ3つのドットをW型の直線で結び、円形のボーダーで囲んであります。電力網または電気回路のように見えます。また先端をアールにした太い直線を「W」の下に水平に置いたことで、ウォールソケットのようにも見えます。
ジョブズを感激させたNeXTのロゴのプレゼンテーション
IBMを独裁者になぞらえて、その圧政から人々を解放するのがマッキントッシュだ、というセンセーショナルなCMを流したのはアップルの創設者スティーブ・ジョブズです。そのジョブズがアップルから追放されて創立した新いコンピューター会社がNeXT(ネクスト)です。
NeXTのロゴ資料 (via Pinterest)
ポール・ランドが新しいロゴをプレゼンテーションするときには、たいてい1案しか提示しなかったそうです。スティーブ・ジョブズに対してもその方針は変えませんでしたが、NeXTのロゴのプレゼンのときには100ページの冊子も一緒に手渡しました。
その冊子の冒頭では、2種類のフォントで「NEXT」を組んで見せて、フォントの選択だけでは「next」というありふれた単語をロゴ化するのが難しいことを伝えます。次に、大文字小文字の組み合わせをすべて示し(NEXT、next、Next、NeXt、NeXT)、「e」だけを小文字にするメリットの解説に移ります。さらに、ロゴに立方体を採用する理由や、なぜ「Ne」「XT」と2行で組むのか、なぜこの色使いなのか、ひとつひとつ丁寧に説得力のあるプレゼンテーションが続きます。実際のアプリケーション例も示されました。
プレゼンが終わると、感激したジョブズはランドにハグを求めたそうです。
バウハウスの影響
Claudio Divizia / Shutterstock.com バウハウス デッサウ校
ランドは新聞や雑誌にストックイメージを提供する会社のパートタイムとしてキャリアをスタートします。彼は、バウハウスなどモダニズムアートの影響を大いに受けていて、カッサンドル (Adolphe Mouron Cassandre) や、モホリ・ナジ (Moholy-Nagy László) の作品から多くを学びました。修行時代のポートフォリオには、ドイツの「即物的ポスター (Sachplakat) 」のスタイルの影響が見られます。
ちなみに、広告ポスターの基本要素を、画・背景・テキストとしたのは、この「即物的ポスター」の代表的作家のひとりルツィアン・ベルンハルト (Lician Bernhard) です。この要素を構築することで美的かつ瞬時の内容伝達が可能な画面構成をベルンハルトは創り出しました。これは、現代の広告デザインの基本構造です。また、ロゴデザインにも通じるものでもあります。
ポール・ランドの雑誌デザインにおける挑戦
その後、ランドは『GQ』誌の前身となる雑誌などのレイアウトデザインをおこなうようになり、ヨーロッパのデザインにインスパイアされた仕事が評価されます。また、『Esquire』誌のファッションページのアートディレクションも任されました。のちにすぐれたロゴを制作するポール・ランドが、初期にはレイアウトデザインで評価されていたことは、ロゴデザインのスキルを考えるときに参考になるでしょう。
カルチャーマガジン『Direction』誌の表紙デザインをしていた時期が、ポール・ランドのスタイルの確立に大きな役割を果たしたといわれています。無償で仕事をする代わりに、自由にデザインする権利を手に入れたランドは、もっぱらファインアートで取り扱っていたテーマを商業デザインに導入するという実験を繰り返しました。
Directionの表紙デザイン (via Pinterest)
『Direction』の1940年12月号の表紙はポール・ランドを一躍有名にしました。表紙のグラフィックスは、十字にリボンが掛けられた、ごくありふれたクリスマスプレゼントの箱を模しています。しかし、リボンの代わりに鉄条網が使われました。その針のある影が白い箱にくっきりと落ち、そのまわりには赤い小さなドットが点々としています。
鉄条網が弾圧、ドットが滴り落ちた血を象徴なのです。前年に勃発した第二次世界大戦には米国は中立国としてまだ参戦していませんでしたが、ファシズムの拡大は傍観をゆるさない状況にまで達していました。ここで重要なことは、ポール・ランドが商業デザインにメッセージを込める試みをした、ということです。
ポール・ランドの言葉
彼は著作もいくつか残しています。すぐれた作品や示唆に富んだ言葉にはかならず刺激を受けるでしょう。
たとえば、あるインタビューでは「ロゴが事業内容を表す必要はない。」と言っています。「ラムのブランドのバカルディはコウモリ、ファッションブランドのラコステはワニをシンボルマークにしていますが、創業者でなければコウモリやワニをロゴにしなかったでしょう。」と。コウモリマークでバカルディラム、ワニでラコステ製品を思い浮かべれば、ロゴは目的を達成しているのです。
ロゴの使命は、特色があり、覚えやすく、明瞭であることだけです。
デザインは芸術にもなる。デザインは美学にもなる。デザインはとてもシンプルで、だからこそ、とても複雑なのです。
ポール・ランド(Paul Rand)
1914〜1996年
アメリカ合衆国
グラフィックデザイナー、イェール大学名誉教授
【参考資料】
・Paul Rand – Wikipedia – https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Rand
・ポール・ランド – Wikipedia – https://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・ランド
・ポール・ランドのデザイン思想、ポール・ランド著、スペースシャワーネットワーク、2014.12
・ポール・ランド デザイナーの芸術、ポール・ランド著、ビー・エヌ・エヌ新社、2017.4
・ドイツ・ポスター 1890–1933 | 京都国立近代美術館 – http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2007/362.html
・Paul Rand + Steve Jobs – Print Magazine – https://www.printmag.com/featured/paul-rand-steve-jobs/