ドイツ銀行のロゴをご存知ですか。極太のラインで描かれた斜線とそれを囲む正方形で構成されたシンプルなデザインです。空港やビジネス誌の広告などで見かけることがあるかもしれません。
Anton Stankowski in Paris, 1958 – Stankowski-Stiftung (CC BY 3.0)
一度でも目にしたら強く記憶に残るこの力強いロゴを作り出したのがアントン・スタンコウスキー(Anton Stankowski)です。デ・スティルやロシア構成主義の影響の中で独自の「構成的グラフィック・アート」を生み出し、今日のグラフィックデザインの考え方に多大な影響を及ぼしました。
正方形の中のスラッシュロゴ
・ドイツ銀行のシンボルマーク / “>nmann77 – stock.adobe.com
「正方形の中のスラッシュ」(slash in a square)とも呼ばれるドイツ銀行のシンボルマークはアントン・スタンコウスキーが1973年に作成したものです。
サービス内容の拡充と世界市場での存在感の高まりを反映する新しいコーポレート・アイデンティティが必要と考えたドイツ銀行は8人の著名なデザイナーに新ロゴの作成を依頼します。新しいロゴには文字や言語を問わず世界中で使えることが求められました。採用するロゴデザインの決定は、銀行幹部ではなくデザイナーと雑誌編集者から構成される審査員団に委ねられます。スタンコウスキーのロゴが選ばれ、1974年に発表されました。それから45年を経た現在でもほとんどそのままの姿で使われています。
Martin Good / Shutterstock, Inc.
確固たる基盤と未来志向のダイナミズムという両極端のモチーフをこのシンボルマークでビジュアル化したのだとスタンコウスキーは説明しています。正方形が安定した環境、斜線が成長を表しているのです。一見すると斜線は対角線上に置かれているようですが、実際はそうではありません。
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「傾いた線は正方形を対角線で分けるようには配置されていません。それがこのシンボルを特別なものにしているのです。グラフィックが人を引きつける強さは思いがけない視覚的なズレに左右されるのです」(アントン・スタンコウスキー)
ドイツ銀行のロゴに限らず斜線はスタンコウスキーにとってとりわけ重要なモチーフでした。伝説的な作品『Berlin-Layout』の表紙に描かれたベルリン市のシティ・アイデンティティも3色の斜線で構成されています。
コンクリート・アートに影響受けたグラフィックデザイン
Theo van Doesburg. 1927. (テオ・ファン・ドゥースブルフ肖像)
コンクリート・アート(具体芸術)は『デ・スティル』(De Stijl)誌を発刊し、「デ・スティル」運動を推進したオランダ出身の芸術家・建築家、テオ・ファン・ドゥースブルフ(Theo van Doesburg)が作り出した言葉です。 “芸術は普遍的でなければならず、そのためには現実世界のものを表現したり模倣したりすべきではない” と考えます。そのため絵画は人間が描く線・面・色のみで構成され、各要素も作品も「それ自体」以外の意味を持つべきではないとしています。自然界の事物からは何も「抽象化しない」ので「具体」という言葉が使われていますが、名前から類推される具象絵画とはむしろ逆の考え方です。
アントン・スタンコウスキーはコンクリート・アートの考え方をグラフィックデザインに取り入れました。写真やタイポグラフィをコンクリート・アートの幾何学的要素と同じように考えることで、のちに「構成的グラフィック・アート」(Constructive Graphic Art)と呼ばれるようになる独自の表現手法を作り上げたのです。
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イタリアで開催された「ミッレミリア」(Mille Miglia)という自動車1000マイルレースでメルセデス・ベンツが1955年に優勝したことを告知するスタンコウスキーの伝説的ポスターがあります。これもコンクリート・アートの影響が見て取れる構成的グラフィック・アートの特徴的な作品です。
スタンコウスキーは広告やビジネス用途とはつながりを持たない「自由芸術」作品も積極的に制作していました。コンクリート・アートの流れをくむ独自のデザイン理論に基づいた構成的コンクリート・アート作品は、「動き」や「ふるまい」を可視化したものです。たとえば成長・2極・規則性・つながりといった概念をテーマにした作品が作られました。フラクタル的図象が描かれた作品もありますが、それが制作されたのは数学者ブノワ・マンデルブロが「フラクタル」の概念を1975年に提唱するよりも前のことでした。
機能的グラフィックデザインとロゴ
「アントン・スタンコウスキーにとって自由芸術と応用芸術の区別はありませんでした。スタンコウスキーの写真や絵画作品の多くが機能的グラフィックデザインに流れ込んでいます」(スタンコウスキー財団サイトより)
説明が難しい「意味」「機能」「プロセス」といったものを視覚的に表現するスタンコウスキーのグラフィックアートは「機能的グラフィックデザイン」と呼ばれています。スタンコウスキーの機能的グラフィックデザインはロゴやポスターにも見られます。
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たとえば、電話やファックス、ラジオの製造や情報通信関連事業をおこなっていたStandard Electric Lorenz AG(SEL)という企業のロゴマーク(1954年)は情報の送受信という通信の機能を視覚化したものです。SEL以外にもロゴマークを数多く生み出しています。
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1954年にはテレビ塔をモチーフにした南ドイツ放送(Süddeutscher Rundfunk)のロゴマークを作成。
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ドイツの大手暖房機器メーカーViessmannのロゴ(1965年)のロゴは現在でも使われていて、同社サイトにはスタンコウスキーの遺産を受け継いでいくと明言されています。そのほかにもドイツ工作連盟(Deutscher Werkbund)、ドイツデザイン協議会(German Design Council)など、企業・自治体・イベントなどさまざまな分野のクライアントのために数えきれないロゴを提供しました。
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その多くは今でも現役として力強さを失っていません。
構成的グラフィック・アート
1929年から34年までスイスの広告スタジオに在籍していましたが、「構成的グラフィック・アート」と呼ばれるアントン・スタンコウスキーのデザイン理論の基盤が作り上げられたのはこの時期です。スタンコウスキーが常に関心を抱いていたのは、デザインの中の情報とコンテンツの可視化でした。デザインを機能的な観点から判断するということは現代のグラフィックデザインや広告ではごく普通のことですが、20世紀初頭にはそういう考え方は珍しいものでした。
そのころ手がけた製品カタログや広告の表紙デザインをニューヨーク近代美術館(MoMA)のサイトで見ることが可能です。写真とテキストが大胆かつ精緻な構図でレイアウトされています。現代の製品カタログや雑誌の表紙と比べても共通点が多いのが驚きです。実際の時代の違いほどには時の隔たりを感じません。
「スタンコウスキーの関心の対象は、要素の配置であり、各要素の情報のバランスであり、全体的なコンセプトの中での緊張と調和のバランスでした」(スタンコウスキー財団サイトより)
フォトグラフィックなデザイン表現
スイスのSulzerという企業のカタログの表紙をスタンコウスキー財団のサイトで見ることができます。Sulzerはセントラルヒーティングや換気システムのメーカーです。
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スタンコウスキーはデザイナーでコピーライターのハンス・ノイブルク(Hans Neuburg)とともに手がけました。雪を抱くスイスアルプスの山頂に青空が大きく広がった写真が使われていて、そこにパースのかかったSulzerのロゴが大きく置かれています。
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文字を被写体として撮影したような表現はフォトグラファーとしてのスタンコウスキーの発想が生んだ新しいタイポグラフィ表現でした。タイポグラフィに限らず、フォトグラフィックな視点に基づく表現は新鮮でした。雪山と青空で空気の清浄感を表現するこのコンセプトも現在でもよく目にします。また、スタンコウスキーとノイブルクはすべての広告メディアで「Akzidenz-Grotesk」をコーポレート書体とし、企業の一貫した「声」を作り出しました。
フォトグラファーとしての活動
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スタンコウスキーは、フォルクヴァング芸術大学では、写真家マックス・ブルヒャーツ(Max Burchartz)のもとでグラフィックデザイン、タイポグラフィ、写真を学びます。ブルヒャーツはバウハウスで学び、デ・スティルと構成主義にも関わっていました。これらの新しい芸術理論を吸収しながら、スタンコウスキーは写真でもさまざまな表現を試みています。多重露光、直接露光、スーパーインポーズ、変形、ぼかしなどのテクニックを用いた実験写真からモンタージュ作品まで多彩です。また、動きやプロセスをとらえるためにも写真を利用しました。
アントン・スタンコウスキーの経歴
Anton Stankowski in Paris, 1958 by Anton Stankowski (CC BY 3.0)
アントン・スタンコウスキーはドイツのヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェン市で1906年に生まれました。教会や建物の壁や柱に模様や絵を描く教会画家やデコラティブペインターの見習いとしての修行時代を経て、1927年にエッセン市のフォルクヴァング芸術大学(Folkwang Universität der Künste)に入学します。ここでグラフィックデザイン、タイポグラフィ、写真を学びながら、デ・スティル、バウハウス、ロシア構成主義と出会いました。
1929年にスイスの広告スタジオに招かれ、スキルを磨くとともに自身のデザイン理論を築き「構成的グラフィックアート」を開拓することになります。1934年にドイツに戻ってグラフィックアーティストとしてのキャリアをスタートしますが、第二次世界大戦により中断。軍に入隊後ロシアに捕らえられます。
1984年に釈放されると『Stuttgarter Illustrierte』誌の編集者、デザイナー、カメラマンとしての職を得ます。
1951年にシュツットガルトに再びデザイン事務所を構えます。1969年から1972年まで夏季オリンピック・ミュンヘン大会のためのビジュアルデザイン委員会の委員長を務めました。1980年代まで数多くのロゴを生み出しながら、70年代からは徐々にアート作品に比重を移します。1983年には自由芸術と応用芸術の橋渡しをする人々や機関を表彰するためにスタンコウスキー財団を設立しました。
アントン・スタンコウスキー(Anton Stankowski)
1906年~1998年
ドイツ
グラフィックデザイナー、フォトグラファー、画家
【参考資料】
・Anton Stankowski、Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Anton_Stankowski)
・Stankowski Stiftung(スタンコウスキー財団サイト)(https://www.stankowski-stiftung.de/english/anton/stankowski.html)
・Heroes – Anton Stankowski | Designers Journal(http://www.designersjournal.net/jottings/designheroes/heroes-anton-stankowski)
・Great Names in Graphic Design: Anton Stankowski(https://speckyboy.com/graphic-design-anton-stankowski/)
・Deutsche Bank logo- Anton Stankowski – Creative Review(https://www.creativereview.co.uk/deutsche-bank-logo/)
・Anton Stankowski | MoMA(https://www.moma.org/artists/8239?=undefined&page=&direction=)
・ドイツ銀行グループの「ロゴ・スクエア」は40周年を迎えました(https://japan.db.com/jp/content/5519_5760.html)
・Deutsche Bank Group – 新ブランド/ロゴ(https://japan.db.com/jp/content/new_brand_and_visual_identity_htm.html)