グラフィックデザインとは
グラフィックデザインとは、タイポグラフィ、フォトグラフィ、イラストレーションを使ったビジュアルコミュニケーションと問題解決の過程の事を言います。この分野はビジュアルコミュニケーションとコミュニケーションデザインから成り立っていると考えられていますが、「グラフィックデザイン」という用語も同義的に使われます。
グラフィックデザイナーはシンボルや画像、文字を作り組み合わせる事で、アイデアやメッセージの視覚的表現を形作ります。一般的に、グラフィックデザインは商業デザイン(ロゴとブランディング)、エディトリアルデザイン(雑誌、新聞、本)、広告、ウェブデザイン、コミュニケーションデザイン、製品包装、看板などに使われます。
グラフィックデザインの歴史
・ケルズの書の中の1ページ
グラフィックデザインの原則はウィリアム・アディソン・ドゥイギンスによって1922年に作られ、まだその歴史は浅いものです。ラスコー洞窟からローマのトラヤヌスの記念柱、中世の装飾写本、銀座のネオンライトまで、グラフィックデザインは人類の歴史を取り巻いています。
古代バビロニアでは、職人達が建設に使われるレンガや平板に楔形文字を印字していました。これらのレンガには、君主や建設者の他に高官の名前などが記されています。これはおそらく、現代で見られる政治家や市長の名前を宣伝する道路広告やビルボードの始まりと言えるでしょう。
古代エジプト人は、紀元前136年にロゼッタストーンで発見されたヒエログリフ(象形文字)によってコミュニケーションを発展させていました。また、ロゼッタストーンは、古代エジプトのファラオであったプトレマイオスを【太陽の息子、月の父、人々の幸福を保つ者】として宣伝していたのです。
古代エジプト人はナイル川沿いに生えるアシでできたパピルスという紙を作り、これは当時の人々が広告を書くものとして使われていました。紀元500年から1450年における「暗黒時代」では一般市民の多くが積極的に学問や読み書きをしておらず、シンボルや書物は修道士によって維持されていました。
この長い歴史と20世紀と21世紀におけるビジュアルコミュニケーションにおいて、広告、芸術、グラフィックデザイン、ファインアートの区別はしばしば曖昧です。これは、結局これらの分野では同じ要素、理論、原則、実践、言語が使われているからであり、後援者やクライアントが同じ場合もあります。広告の最終的な目的は製品やサービスを売り上げることです。グラフィックデザインの目的は、「情報に秩序を与え、アイデアと表現に形を与え、人間の経験を記録する芸術品に感情を与える事」とされています。
見出しの誕生
アメリカにおけるグラフィックデザインの歴史は、ペンシルベニア・ガゼット紙(印刷出版会社)で広告の技術をマスターしようと試みたベンジャミン・フランクリンによって始まりました。彼は自らの著書を宣伝しただけでなく、ペンシルベニア・ガゼット紙から米国初のタブロイド紙を発行しました。
当時の広告は混ぜこぜの文字と不揃いな並びで印刷されていたため、読みづらいものでした。これを、広告の1行目に14ptの文字を使う事で改良したのがベンジャミン・フランクリンでした。これは後の「見出し」となりました。フランクリンは文字を巧みに使いこなし、何が「人々の目にとまる」のかを理解していました。
イラストレーションを追加したのもフランクリンで、これはロンドンの印刷業ですら行われていなかったため、最先端な技術とされていました。ベンジャミン・フランクリンは初めてロゴを作った人物であり、製品の物語を伝える際のディテールの大切さを広告業者に教えました。この物語を伝える宣伝方法は瞬く間に広がり、10−20行にもわたって製品の色や名前、種類、大きさなどを宣伝する業者もいました。この初期の広告から、当時の移民たちが直面した様々な文化や考え方、環境について学ぶ事ができます。
17世紀と18世紀における名刺
17世紀と18世紀に広告業者たちが名刺に力を入れ始め、名刺は壁に貼られた手書きのポスターに代わる存在となりました。スペースが限られていたため、新しいポスターがつい数分前に貼られたポスターの上から貼られることが多くあり、問題となっていました。現代の広告の倫理規定はここから生まれたと言えるでしょう。「糊が乾いていない限り(このタイプの糊は乾くのがとても遅かった)新しい広告を上から貼る事をしない」という規定が設けられたのです。しかし、それでもこれらの広告は長くても数日しか見られる事がありませんでした。
当時の新聞には、妻に逃げられた夫や奴隷に逃げられた奴隷主による広告がありました。広告主は倫理規定によってではなく社会によって縛られていました。しかしながら、それらの広告は当時の社会の様子を正確に表していましたし、当時の人々に責任を持たせるために使われていました。広告の歴史を見る事でその傾向や実践、原理が広告に刻みこまれているのがわかります。
植民地時代の商人たちは、現代の商人達と同じように顧客が居る場所に出向いていました。「歩くカタログ」と呼ばれる行商人達は交易所を売り場としていました。歴史学者であり新聞のセールスマンであるフレデリック・ファーラーは1975年の10月に「もし新聞が無ければアメリカの革命は起こらなかったし、もし広告が無ければ新聞は存在しなかった。」という格言を残しました。
印刷技術の発展
紀元7世紀から9世紀にかけての唐朝(618年から907年)では、後に仏典を印刷するために使われる木片が素材に印字するために使われていました。紀元868年に印刷された仏典は初めて印刷された仏典として知られています。11世紀に巻物や本が可動活字によって印刷され、宋朝(960年から1279年)では本が普及しました。
可動活字による印刷は17世紀よりも遥か前に発明されていましたが、17世紀から18世紀にかけてチラシや名刺は木や銅でできた彫版で印刷されていました。イギリスの有名画家のホガースは商業的なものでは初めてとなる版画を作った事で知られています。
ドイツのマインツでは1448年にヨハネス・グーテンベルグが金属活字を発明しました。この印刷技術の発明は、商売と貿易における新しい時代の幕開けとなりました。以前は、口頭での広告が最もよく見られていました。例えばフランスとロンドンでは、かつて古代ローマ人がそうしたように、触れ役と呼ばれる”呼び売り商人達”が口頭で製品を売り込んでいました。印刷はそんな広告法を大きく変えるものとなり、印刷技術の発明によって街の騒音も少なくなりました。視覚的な広告表現の誕生は、効率的に人々に製品を宣伝し、売り込みたいと考える商人達にとっては良い兆しでした。
書籍の普及
印刷技術の発明によってヨーロッパで本が普及しました。アルドゥス・マヌティヌスは西洋書のデザインの基盤となった本の構成を発展させました。この時代のグラフィックデザインはヒューマニストやオールドスタイルと呼ばれています。イギリスで初めて聖典を印刷した印刷業者であり、それらの販売に苦戦したのはウィリアム・キャクストンでした。彼は余った本のページを本の販売広告として教会のドアに貼り付けることで有効活用していました。
このようにドアに貼られたポスターは「Siquis」や「ピンナップポスター」と呼ばれました。「Siquis」という用語は古代ローマ時代の掲示板が「もし誰か・・・」(ラテン語でsi quis)という文章から始まっていたことから来ています。これらの印刷広告に、後に「求人」広告となる「Advices」という広告が続きます。「Advices」は現代でいう求人広告や「人生相談コラム」です。
後の1638年にイギリスからアメリカ(当時はイギリス領)に印刷版が導入されました。この印刷版はハーバード大学、ケンブリッジ大学、マサチューセッツ大学に導入されました。後にボストンに移住し本屋を開いていたイギリス人のベンジャミン・ハリスのもとに印刷版が届くまで52年もの年数が流れました。ベンジャミン・ハリスは新聞を連載形式で出版しようと試みました。ハリスの記事は4ページにわたる「パブリック・オカレンシズ」として発行されましたが、わずか1号で政府によって発行を禁止されました。
新聞の誕生
初めての新聞とされたのは1704年に発行されたジョン・キャンベルによる「ボストン・ニュースレター」でした。革命時代には「ウィークリー」として知られていました。印刷用のインクが乾くのに13時間もかかり、新聞の両面に印刷されたインクを乾かすだけでも1日以上もかかったため、「ウィークリー」と呼ばれていました。解決策は、まず広告を印刷してからその裏面に記事を印刷することでした。4ページの新聞の2−3割を広告が占めていて、最新ニュース(今でいう一面記事)は内側のページに印刷されていました。
初期のボストン・ニュースレターはキャンベルが読者から広告を募集するというものでした。はじめの広告は1704年5月7日に発行された第3号に搭載されました。3つの広告のうち2つは盗まれた「鉄床(ハンマー台)」についての広告で、3つ目はニューヨークの印刷業のパイオニアであるウィリアム・ブラッドフォードが所有するロングアイランドの物件の広告でした。
ウィリアム・ブラッドフォードは後の1725年にニューヨークで初めてとなる新聞「ニューヨーク・ガゼット」を発行しました。ウィリアム・ブラッドフォードの息子はウィリアムより先にフィラデルフィアで「アメリカン・ウィークリーマーキュリー」を1719年に発行していました。「マーキュリー紙」とウィリアムの「マサチューセッツ・ガゼット」は「ボストン・ニュースレター」に続いて発行された2つの新聞となりました。
デザイン企業の出現
19世紀後半に、グラフィックデザインを芸術品と区別する書籍「印刷デザイン」がイギリスで公式に出版されました。
1849年にヘンリー・コールが自身の「デザインと製造ジャーナル」において政府にデザインの重要さを伝えた事によって、イギリスのデザイン教育を先導する人物となりました。彼は現代の工業技術とビクトリア朝のデザインを讃える為にロンドン万国博覧会を主催しました。
1891年から1896年にかけてウィリアム・モリスのケルムスコット・プレスが出版した本の多くは、アーツ・アンド・クラフツ運動におけるグラフィックデザインの中でも最高級のものとされ、美しく洗練された本を世間に売ることでたくさんの利益を得ました。モリスはグラフィックデザインの技術を使って生計を立てていきたい者達のために、グラフィックデザインを専門業とするためのマーケットを作りました。ケルムスコット・プレスの作品は歴史的なスタイルが特徴的でした。このスタイルは19世紀のグラフィックデザインの他のプライベート・プレスに加え、モリスの作品はアール・ヌーヴォーに直接的な影響を与え、20世紀初期のグラフィックデザインの発展に間接的な影響を与えました。
20世紀のデザイン
・「エアフォース・ワン」のデザイン。シアン色、アメリカの国旗、大統領の公印、Calsonフォントは全て違う時期に違うデザイナーたちによってデザインされたが、レイモンド・ローウィによって一つの飛行機のエクステリアデザインとして統合された。
「グラフィックデザイン」という用語は1922年に20世紀のアメリカ人ブックデザイナーであるウィリアム・アディソン・ドゥイギンス著の「新しいデザインのための新しい印刷技術(New kind of Printing for New Design)」で初めて使われました。1927年に出版されたラッフェの「グラフィックデザイン」は「グラフィックデザイン」という用語を初めてタイトルに使った本とされています。
ロンドン地下鉄の看板は現代のデザインの良い例であり、エドワード・ジョンストンが1916年にデザインした書体が使われています。
1920年のロシア構成主義で「知的生産」が様々な生産分野で応用されました。この運動ではロシア革命における個々の芸術品は無意味とされ、実用的な物を作ることが求められました。それに合わせて、建物、映画館、ポスター、素材、服、家具、ロゴ、メニューなどがデザインされました。
ジャン・チコールドは、1928年に出版された「新しいタイポグラフィ(New Typography)」で現代のタイポグラフィの原則を体系化しました。チコールドは、この本で自身が唱えた哲学はファッション的なものではないと言いましたが、その影響力は変わりませんでした。現代のグラフィックデザインに影響した人物にはチコールド、ヘルベルト・バイヤーやラースロー・モホリ=ナジなどのバウハウスタイポグラファー、エル・リシツキーなどがいます。彼らは20世紀の生産技術と文体のパイオニアとなりました。その後、モダンスタイルのグラフィックデザインが幅広く知られ、応用されました。
第二次世界大戦後のアメリカ経済の成長により、広告・パッケージデザインなどのグラフィックデザインの需要が増えました。ドイツのバウハウスデザイン学校が1937年にシカゴに移ってから、アメリカで「現代的な」建築とデザインが「大量生産」されました。
ミッドセンチュリーのモダンデザインを影響した人物にはUniverse書体のデザイナーであるアドリアン・フルティガー。1930年代後半から亡くなる1996年までバウハウスのデザイン原理を様々な広告やロゴデザインに応用し、ヨーロッパのミニマリズムをアメリカ流にアプローチしつつ「コーポレート・アイデンティティ」として知られるグラフィックデザインの企業戦略のパイオニアとなったポール・ランド。1950年代と1970年代に独特のテイストでポスターデザインを手がけたヨゼフ・ミューラー=ブロックマンなどがいます。
参考記事 : ポール・ランド(Paul Rand) ー ロゴデザインの巨匠
プロフェッショナルなデザイン業界の成長は消費者運動の増加と並行的に起こりました。これは特に「ファースト・シングス・ファースト(怠惰になり批評性を失ったデザインを元に戻すという主張)」を唱えたグラフィックデザイン団体から批判を浴びました。1964年にケン・ガーランドによって発表され、1999年に再び「ファースト・シングス・ファースト2000」として再発表されました。
このマニフェストはÉmigré誌の中で「より便利で持続性の高い民主的なコミュニケーションの形のため、プロダクトマーケティングから遠のき、新たな意味の探究と生産に近づく為に、グラフィックデザインの優先順位の逆転を提起する。議論の範囲は狭まっている。それを広げなくてはならない。消費者運動は議論の対象にされていない。それをビジュアル言語とデザインの資源を使って他の観点から表現しなければならない。」と主張しました。
どちらのマニフェストも、ルビー・ヴァンダーランス、エリック・スピーカーマン、エレン・ラプトン、リック・ポイノールなどの一流デザイナーたちから評価を得ました。「ファースト・シングス・ファースト2000」はデザインカルチャーの評論で有名な雑誌「アドバスターズ」を通じても発行されました。
グラフィックデザインの発展・応用
道路標識からマニュアルまで様々なものに使われているグラフィックデザインは、知識と視覚的メッセージを高めます。読みやすさはビジュアルプレゼンテーションと文字のレイアウトを向上させることによって高まります。
ブランディング -CI・VI-
デザインの効率的なビジュアルコミュニケーションは、製品やアイデアの販売にも役立ちます。これは製品と、企業のロゴや色、パッケージデザイン、文字などの企業アイデンティティの要素に適用されます。これらは合わせてブランディングと呼ばれています。
コーポレートアイデンティティ(CI)と同時に、グラフィックデザイナーが提供する幅広いサービスにおいて、ブランディングの重要度が増しています。これらの用語はほとんど同じ意味で使われていますが、ブランディングは厳密には、製品やサービスのアイデンティティマークやトレードネームに関連するものを指すのに対し、コーポレートアイデンティティ(CI)は企業の構成や哲学に加え、企業の外的イメージなどに関連する幅広い意味を持ちます。ブランディングにおいては、グラフィックデザイナーたちが企業アイデンティティやブランディングプロジェクトを担当することがよくあります。ブランディングにおける他のメンバー達にはマーケティング専門家、コミュニケーションコンサルタント、商業ライターなどがいます。
教科書
教科書は地理や科学、数学などの教科を表すためのものです。これらの教科書には理論や図を描写するためのレイアウトがあります。教科書でよく見られるグラフィックの例として、人体解剖学の図が挙げられます。また、情報をアクセスしやすく読みやすいものにするための教科書のレイアウトやフォーマットにもグラフィックデザインが適用されています。
標識・サイン -環境グラフィック-
標識やサインなどは、空港や会議場などの大きな公共施設において以前より重要になりました。これらのシステムでは遠くからでも読める色やシンボルなどを通じて情報を迅速にむだなく伝えるために、グラフィックデザインが多く使われています。
このような環境グラフィックデザインのシステムによって人々が行き慣れていない場所でも行き先を知る事ができます。「Architectural Graphics (建築上のグラフィック」という用語は空港の案内路デザインのパイオニアであるジェーン・デイビス・ドジェットによって初めて使われましたが、2014年現在ではEnvironmental Graphics (環境グラフィック)という言葉の方がより多く使われています。
エンターテイメント
エンターテイメント業界では、グラフィックデザインが装飾、舞台、視覚的なストーリーテリングに使われています。エンターテイメントの目的で使われているその他のグラフィックデザインには小説、漫画、DVDのカバー、映画のオープニングクレジットとクロージングクレジット、舞台での小道具などがあります。これにはスクリーンプリントされて販売されるTシャツなどに使われている絵なども含まれます。
メディア -情報デザイン-
科学ジャーナルからニュースの報道などでの意見や事実の表現は、視覚情報の構成を通じたグラフィックデザインによって向上されます。これを情報デザインと呼びます。新聞、雑誌、ブログ、テレビ、ドキュメンタリー映画などでも、情報を伝えエンターテインメント性を出すためにグラフィックデザインが使われています。
スキル
グラフィックデザインプロジェクトには、既存テキストと既存画像またはグラフィックデザイナーにより作られた画像の様式化が含まれることがあります。芸術作品はアナログとデジタルの両方で取り込まれ、ビジュアルアートやタイポグラフィ、ページレイアウトなどの技術を通じて出版、販売されます。
例えば新聞記事はジャーナリストやフォトジャーナリストから始まり、グラフィックデザイナーがページのレイアウトを調整したり他の視覚要素が必要でないかを判断したりします。
雑誌の記事や広告では、グラフィックデザイナーやアートディレクターが写真家やイラストレーターなどにデザインレイアウトに使うための作品の製作を依頼することがあります。もしくは、ストックされている画像や写真をデザイナーが使う事もあります。
現代のデザイン技術には、インテラクティブデザインやマルチメディアデザインと呼ばれることが多いコンピューター技術などが含まれます。グラフィックデザインの他の一面として、巧妙なリサーチ技術、芸術作品の分析、新しい観点から物事を見る事などがあります。グラフィックデザインでは人々を説得してデザインを売り込む力が必要とされ、コミュニケーションが鍵となります。
グラフィックデザインの過程には実際のコミュニケーションの過程について考える「プロセススケール」が含まれます。ここでは特にメッセージ(情報)がどのチャネルやメディアを通じて伝わるのか、誰が受取り、誰が発信するのかなどに焦点を合わせます。
タイポグラフィ
タイポグラフィは書体グリフの変更や書体の配置などの書体デザインにおける芸術・技術のことを言います。書体は様々なイラストレーション技術を使って作成、変更されます。書体の配置には、タイプフェース、ポイントサイズ(文字の大きさ)、トラッキング(全ての文字の間隔の調節)、カーニング(2つの文字の間隔の調節)、レディング(行間の調節)があります。
タイポグラフィは植字工、タイポグラファー、グラフィックアーティスト、アートディレクターによって行われます。デジタルの時代以前は、タイポグラフィは専門職でした。デジタル化によってタイポグラフィに新たな世代とビジュアルデザイナーが生まれました。
ページレイアウト
・本のデザインにおける黄金分割
グラフィックデザインにおけるページレイアウトでは、画像の位置などの要素(コンテンツ)の配置、テキストレイアウト、スタイルを扱います。中世の装飾写本に始まり現代の雑誌やカタログレイアウトまで続いているページの構成デザインは、印刷物やウェブページなどの近年の電子ディスプレイにも使われています。構成要素には書体(文字)や画像(写真)に加え、(印刷物では)塗料、レーザーカット、箔押し、空浮き出し加工などの特殊加工も含まれます。
製版
製版は紙やその他の素材に作品を印刷する過程のことを言います。版画と呼ばれる過程によって同じものを何度も作ることができます。それらの1つ1つが複製であり、この過程は「印刷」と呼ばれます。
その一方で絵画やドローイングでは、唯一無二の作品が作られます。
版画は母型と呼ばれる1つの表面から作られます。母型には、エッチングに使われる銅や亜鉛などの金属板、リトグラフに使われる石、木版に使われる木片、リノリウム版に使われるリノリウム、スクリーン印刷に使われるシルクスクリーンなどがあります。
ツール
グラフィックデザインでは技術の他に判断力と創造力が求められます。デザインレイアウトと表現には批評的、観察的、数量的、分析的な思考が必要です。他のデザイナー(アートディレクターなど)から提供されたソリューションに沿ってしか作業をしない人はデザイナーではありません。
プレゼンテーションの方法はデザインと同等に重要です。プレゼンテーションツールは、受取手のプロジェクトへの見方を大きく変える事が出来ます。画像やレイアウトはアナログ媒体やコンピューター上で作成されます。コンピューター上のツールでも「ハサミ」や「ペン」などアナログツールの名前がついていることが多いです。グリッドなどのデザインツールはアナログとデジタルの両方で使われます。
1980年代半ばにDTPとグラフィックアートソフトウェアが導入され、それまでは手動で行われていた画像の編集や作成がコンピューターで行えるようになりました。コンピューターグラフィックデザインでは、レイアウトの効果や書体の変更がその場で見られるようになっており、大きなスペースを使わずにアナログ媒体の効果をシミュレーションできるようになりました。
しかし、コンピューターで仕上げをすることがあっても鉛筆やマーカーなどのアナログツールは十分に役に立ちます。クリエイティブプロセスの中でデザイナーやアートディレクターが複数のコンセプトスケッチを書くときがあります。これらのスケッチをプロジェクトの初期段階でクライアントに見せ、それが承諾された後でデザイナーがコンピューターとグラフィックデザインソフトを使って作業を勧める時もあります。
コンピューターはグラフィックデザインにおいて必要不可欠なツールだと考えられています。現代のデザイナー達はアナログのツールよりもコンピューターとソフトウェアを多く使っています。しかし、中にはミルトン・グレイザーのように手動のアナログツールを使い続けている人もいます。道具や方法を試すことによって新しいアイデアが生まれますが、アイデアを鉛筆と紙で探究するデザイナーもいます。他にも、コンピューターから彫刻まで様々なツールを使ってデザイナーたちは自らの創造力を刺激しています。グラフィックデザインの鍵となる要素の一つは、意味を伝える為に適切なツールを選ぶことです。
参考記事 : ミルトン・グレイザー (Milton Glaser) ー ニューヨークから世界に影響を与えた多能のグラフィックデザイナー
コンピューターとクリエイティブプロセス
コンピューターがグラフィックデザインの過程を向上させるかどうかについて議論がなされています。コンピューターによる高速生産によって、デザイナーが複数のアイデアを迅速に探究しアナログの過程よりもディテールに富んだものを作る事ができ、クリエイティブプロセスをよりすばやく移動することができます。しかし、無限大な選択肢を与えられる事は最高のデザインを隔離するのに役立つことではなく、終わりの無い修正と曖昧な最終デザインを生む事もあります。
グラフィックデザイナーは複数の複雑なアイデアをすばやく探るために、難しいソフトウェアではなくスケッチを使うことがあります。ビジュアル要素の仕上げやコンピューター上の作業に移る前に、クライアントに手描きのアイデアを見せて承諾してもらう場合もあります。コンピューター上でサムネイルスケッチや、紙に大雑把なドラフトを描くことでl、迅速にアイデアを洗練して生み出すハイブリッドな方法もあります。
このハイブリッドな方法は、ソフトウェアを学ぶことでクリエイティブプロセスが邪魔されてしまうと考えられるロゴデザインで多く使われます。アナログとコンピューターのハイブリッドプロセスは、ページレイアウトや画像編集などにおいてデザイナーの創造力を開花させることのできる方法です。
DTPが導入された当時、数多くの「アナログ」グラフィックデザイナーたちが、コンピューターを得意とするデザイナーにスケッチからアイデアを作ってもらうように頼んでいました。しかし、このようなことは30年前のDTPの発展から大きく減少しました。今ではほとんどのグラフィックデザインのコースでコンピューターとグラフィックソフトを学ぶことができます。
1990年代からグラフィックデザインに使われている「業界標準」のソフトウェアプログラムのほとんどはAdobeシステムによるものです。Adobeフォトショップ(写真編集・画像ソフト)とAdobeイラストレーター(ベクターグラフィックのドローイングソフト)はデジタルデザインプロセスの最終仕上げによく使われます。画像はフォトショップで、ロゴやイラストはイラストレーターで編集されます。また書籍の編集などには、Adobeインデザインが用いられます。1990年頃に業界に入ったグラフィックデザイナーたちは、これらのうち少なくとも2つのプログラムについて知っているとされています。
関連するデザイン分野
インターフェースデザイン
インターネットとコンピューターソフトの発展以来、数多くのグラフィックデザイナーたちがグラフィックユーザーインターフェース(GUI)呼ばれる環境でのインターフェースデザインに関わるようになりました。これにはウェブデザインやソフトウェアデザインが含まれ、使用者が使いやすいかどうかがレイアウトやインターフェースの設計考慮点となります。インターフェースデザインで重要となるのはアイコンデザイン等です。
ユーザーエクスペリエンス(ユーザー体験)デザイン
ユーザーエクスペリエンスデザインでは使用者がインターフェースやサービス、製品に対してどのように関わり反応するのかを考慮し、それに応じて調節します。
エクスペリエンシャル(経験に基づいた)グラフィックデザイン
エクスペリエンシャルグラフィックデザインとは、建造環境にコミュニケーションスキルを適用させることです。この分野では、建造物と同じような環境に対応できる大規模なインスタレーションについての知識が必要とされます。そのため、デザイナー、制作者、都市プランナー、建築家、製造業者、大規模建築プロジェクトチームが協力し合って行います。
エクスペリエンシャルグラフィックデザインは建造物や空間と関わる際に人々が直面する問題の解決を試みます。環境グラフィックデザイナーの担当分野には案内路、場所作り、ブランド環境、展覧会や美術館のディスプレイ、公共設置物、デジタル環境などがあります。
グラフィックデザイナーという職業
グラフィックデザインのキャリア・パスは様々な創造的分野に渡り、多くの場合重複します。グラフィックデザインでの仕事ではデザインサービスや出版、広告などの専門的な課題をこなし、平均年収は53,026ドルと言われています。
グラフィックデザイナーの役割
グラフィックデザイナーの主な役割はなんらかの媒体における視覚的要素の配置です。職名は場合によって異なり、国によっても異なります。グラフィックデザイナー、アートディレクター、アニメーター、プロダクションアーティストなどと呼ばれます。所属する業界によって「DTPアソシエイト」や「グラフィックアーティスト」と呼ばれる時がありますが、名前は違ってもグラフィックデザインの原則は変わりません。
役割はイラストレーション、写真、アニメーション、インテラクティブデザインなどの専門技術によっても左右されます。現代のグラフィックデザイン科の卒業生たちはこれらの全ての分野を学んでいることが多く、他のデザイナーと競争するために全ての分野に慣れていなければなりません。グラフィックデザイナーたちにとって、専門分野やレベルの高いポートフォリオ、学士号などを持つ才能のある優秀なデザイナーが求められる就職の場はとても競争率が高いです。
テクノロジーの発展によって、コンピューターシステムデザインの就職率は35%増加し、出版などのアナログデザインの就職率は16%減少するとされています。
グラフィックデザイナーはアートディレクター、クリエイティブディレクター、シニアメディアクリエイティブなどのキャリアが存在します。地位が上がるにつれ、自身でデザインを行うよりも、他のデザイナーにブランド開発やコーポレートアイデンティティ構築などの様々な仕事を与えるようになります。多くの場合、クライアントと直接的に関わることが必要とされます。
グラフィックデザインにおけるクラウドソーシング
Wired Magazineのジェフ・ハウによって「クラウドソーシング」という用語が2006年の「The Rise of Crowdsourcing」で初めて使われました。これはグラフィックデザイン、建築、アパレルデザイン、イラストレーションなどのクリエイティブ分野にわたります。
参考 : Wikipedia グラフィックデザイン
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