休む勇気と、次に登る山を探す責任
「頑張らなくていいよ」は本当に楽なのか
「無理しなくてもいいよ」「頑張らなくてもいいよ」という言葉。フリーランスのデザイナーとして、自分のペースで仕事を進められる立場にいると、こうした言葉はありがたく感じることも多いんですが、最近はちょっと違う意味合いもあるのかなと感じるようになりました。
「ずっとふもとでのんびりしてていいよ」という意味ではなくて、「他にどの山に登るべきか、自分で考えないといけない」という含みがあるんです。大人の「頑張らなくてもいいよ」には、選択肢の責任が含まれていると感じます。
自分で「登る山」を選ぶ責任
若い頃は、目の前のことに必死に取り組んで、失敗も経験もとにかく積み上げることが大事だと思っていました。実際、そのおかげで成長もできたし、挑戦する楽しさも知ることができました。でも、歳を経ると「やらなくていいことを見極める」必要が出てくる。どの山に登るかを、自分で選ばないといけない場面が増えたんですよね。
これが意外と難しい。登る山を間違えると、せっかくの時間と労力が無駄になってしまうかもしれない。だからこそ、ただがむしゃらに頑張るのではなく、「この山は本当に登る価値があるか?」を慎重に見極めるようになりました。
ふもとにいることも、選んだ上でのこと
「ふもとでのんびりしててもいいよ」という言葉の裏には、「次にどの山に登るかを決める準備期間」という意味があるのかもしれません。フリーランスとして働いていると、常に忙しくしている必要もなく、時には余裕を持つことが大事だと思います。でも、そののんびりした時間も、ただ無目的に過ごすのではなく、次に自分が登るべき山を考えながら使うのが理想なんだと感じています。
「どの山に登るか」を自分で決める
大人になると、登る山を自分で決める責任が増えてきます。これは一見シビアに感じますが、自分の成長にとって必要なステップでもあるんだと思います。「頑張らなくていいよ」という言葉の裏には、自分にとって本当に意味のある挑戦を見極めて、それに全力を注げる準備をしなさいというメッセージがある気がします。これからも、自分にとって価値ある山を選びながら、丁寧に一歩ずつ登っていきたいと思います。
大人って大変だよな…と思うのは、「その山に登らなくていいよ」というアドバイスは「ずっとふもとでのんびりしてていいよ」という事ではなくて、じゃあ代わりにどの山に登るか?を考えないといけない所。
X (Twitter) – Nov 23, 2019
この記事は過去の自分のX(Twitter)のポストを元に、編集しています。