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明日が来て欲しくなかったあの頃から

 

僕の事業のスタートは決して良いものではありませんでした。

 

独立したタイミングで、母の病気が悪化。

「もしかしたら」という不安が日常に覆い被さりました。いざ事業スタートという段階で、僕は病院へ通ったり、各方面へ色々な対応をしたりと、忽ち心身ともにボロボロの状態になってしまいました。病は染ります。身体に染らなくとも、心に染ります。五感はもとより、感受性もみるみる低下していたと思います。

普通は事業が軌道に乗る中で、徐々に外注さんのお世話になるのだと思います。ただ僕の場合は、外注さんへの依頼が最も多かったのが、この立ち上げ時期でした。「お母さん、来月は厳しいかもしれない」なんて言葉を何回も聞かされたりする中で、自分の事業どころではありませんでした。本当に助けられました。

弱っていく母に対して、何もする事が出来ない。人生で一番辛い時期だったかもしれません。

SNSと外はどちらも【世間】という認識なので、そこでは至って普通に振舞っていました。(SNSは良い息抜きにもなった側面もある)

泣いて相談できるような友達がいれば違ったのかもしれませんが、何というか、これ以上誰にも迷惑をかけたくないという気持ちがありました。自分なりに気丈に振る舞っていたのだと思います。

 

そのモヤの中から抜け出して、色々なことを整えて、「ビジネス」としてシステマチックに運営できるようになったのは、本当にこの1-2年ぐらいではないかという気がしています。最近、有難いことに人前でフリーランスとしての経験を話させていただいたりもしましたが、自分の仕事としっかり向き合えたのはほんの少し前のことです。

 

ある程度軌道に乗ると、どんどん仕事がきます。

「あれ、何で独立したんだっけ?」と原点と向き合う余裕はなく、『さぁ働け』と未読メールの山に鼓舞される日々。忙しさも限界に達し、スタッフを雇用したのがつい先月の話です。「人ってどんなタイミングで採用するんだろう?」と考えた事がありますが、必然的に雇わないといけない状況がやってくるんですね。

 

今度はスタッフに色々な事を教えたり、やりたい事を共有したり、チームを意識した仕事のあり方を考えたり…

ふと、日々の忙しさの種類が変わっていることに気づきました。

 

様々な不安に押しつぶされそうになっていた母の闘病の頃、あの頃も忙しかった。

でも、明日が来てほしくなかった。

 

今は、先の事を考えて前向きに忙しくなれている。

明日がそれなりに楽しみです。

 



グラフィックデザインを中心とした小さなデザイン事務所を経営しています。スタッフや外部のデザイナーさん・ライターさんに助けられながら、コツコツと地道に仕事をする日々が気に入っています。