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不幸

最近、ふと思うことがあります。誰かの失敗や不運な話を見聞きしたときに、かつて心の中に芽生えていたはずの、あの黒い感情が湧いてこなくなった…と。

もちろん、良くない行いに対して「それは良くないね」という冷静な判断はあります。でも、心のどこかで相手の不幸を喜ぶような、「ざまぁ見ろ」という気持ちが、すっかり姿を消してしまいました。

特にそう感じるのは、かつて自分に嫌がらせをしてきたような、お世辞にも良い関係ではなかった人の話を聞いたときです。若い頃だったら、きっと「自業自得だ」と溜飲を下げていたかもしれません。

なぜ、こんな風に気持ちが変化したのでしょうか。それは多分、40歳という年齢が目前に迫る中で、人生の「リカバリー」がいかに大変か、身をもって感じるようになったからだと思います。

 

若さがくれた「何度でもやり直せる」という感覚

20代の頃は、体力も時間も無限にあるような気がしていました。

仕事で大きなミスをしても、数日徹夜すればなんとか乗り切れた。人間関係で深く傷ついても、新しい環境に飛び込むエネルギーがあった。まるでゲームのように、失敗してもすぐにコンティニューボタンを押せる。そんな無敵感にも似た感覚が、確かに僕の中にもありました。

だから、他人の失敗に対してもどこか厳格で、「努力が足りないからだ」「やり直せばいいじゃないか」と、簡単に切り捨ててしまっていたように思います。自分自身が「やり直せる」と思っていたから、他人にも同じ基準を求めていたのかもしれません。

その頃は、自分を傷つけた相手が壁にぶつかっているのを見ると、それがまるで正義の鉄槌が下ったかのように感じられ、密かに胸がスッとしていたのです。

 

削られていくHPと、限られた時間

失敗

しかし、年齢を重ねるにつれて、その感覚は少しずつ変わっていきます。

まず、自分の心身の「HP」が、明らかに昔とは違うことを実感します。一度こじらせた風邪はしつこく居座り、無理をすればすぐに体調を崩す。メンタルが落ち込んだときも、若い頃のように一晩寝てスッキリ、とはいきません。浮上するまでに、ずいぶんと時間がかかるようになりました。

さらに、立場や役割が変わることで、「可処分時間」はどんどん少なくなっていきます。仕事での責任は重くなり、プライベートで向き合うべきことも増える。自分のためだけに使える時間は、驚くほど限られています。

この「体力の減少」と「時間の有限性」。

この2つが、失敗からのリカバリーコストを、若い頃とは比べ物にならないくらい引き上げているのです。

一度バランスを崩したものを元に戻すには、膨大なエネルギーと時間が必要になる。それはもう、「コンティニュー」というより、セーブした場所から遠く離れた場所で、装備も体力も不十分なまま、もう一度ダンジョンに挑むようなものです。

想像力が「大変ですね」という言葉に変わる

こうした自分の変化は、他人を見る目も変えてくれました。

かつて僕を嫌っていたあの人が、今、苦しい状況にいると聞いても、もう「ざまぁ見ろ」とは思えません。

代わりに頭に浮かぶのは、「その年齢で、その状況から立ち直るのは、どれだけ大変なことだろう」「心も体も、きっと相当しんどいだろうな」という、極めて具体的な想像です。

これは、相手を許したとか、僕が聖人君子になったとか、そういう綺麗な話ではありません。

ただ、回復することの痛みやコストを、自分自身が知ってしまったから。だから、同じように苦しんでいる人を見ると、その大変さに気持ちが寄り添ってしまう。それだけのことなのだと思います。

「ざまぁ見ろ」という感情は、相手の状況を想像する前に、自分の正義感を優先させてしまう短絡的な反応だったのかもしれません。今は、その人の背景にある時間や体力、背負っているものにまで、少しだけ思いを馳せることができるようになりました。

 

明日は我が身。だから、今を大切に。

そして何より、「何事も明日は我が身」という感覚が、常に心の片隅にあります。

僕だって、いつ仕事で取り返しのつかないミスをするか分からない。いつ、誰かとの関係を修復不可能なまでにこじらせてしまうか分からない。いつ、心身のバランスを崩して動けなくなるか、誰にも予測はできません。

そう考えると、他人の失敗を笑っている余裕など、どこにもないのです。

この感覚は、デザイナーという仕事にも繋がっている気がします。

僕たちの仕事は、誰かの課題に寄り添い、その状況を想像することから始まります。この人は、どんなことで困っているんだろう。どうすれば、もっと快適になるんだろう。その想像力が、より良いデザインを生み出す原動力になります。

他人の大変さを想像する力は、巡り巡って自分の仕事や生き方を支えてくれる。そう信じています。

「ざまぁ見ろ」という感情が消えたのは、自分が弱くなったからではない。

自分と他者の有限性を知り、物事を少しだけ深く、多角的に見られるようになった証拠だと、今は思っています。他人の痛みに、ほんの少しだけ共感できるようになった今の自分を、僕は結構、気に入っているのです。

 

何事にもざまぁ見ろと思うことが無くなった。勿論良くないことに関しては、良くないねという感情はありますが、30半ばになってリカバリーの大変さも少しだけ感じるようになったし、大変ですねという気持ちを抱くことも多いです。そして何事も明日は我が身。

X (Twitter) – Feb 17, 2022

この記事は過去の自分のX(Twitter)のポストを元に、編集しています。

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トミナガハルキ

グラフィックデザイナー/AMIX 代表。独学でデザインを学び、パッケージメーカー→美容系ベンチャー→家庭用品メーカーでのデザイン・広報運営を経て独立。現在は小さな事務所を拠点にASOBOAD等のサービスを運営し、ロゴ・パッケージ・広告物を中心に制作しています。著書『#ズボラPhotoshop 知識いらずの絶品3分デザイン』は各カテゴリでベストセラーを獲得。2020年Adobe Creative Residency選出。ブログでは、10年以上の実務から学んだことや働き方のヒントを等身大の視点で発信しています。