グラフィックデザインとは一体何でしょうか。みなさんは『グラフィックデザイン』という言葉を耳にすると、どんなイメージが浮かびますか?ポスター、新聞または雑誌の広告、展覧会・観劇・映画などのチラシ(フライヤー)やパンフレット、書籍、雑誌の表紙のデザイン、または各メーカーや商品のロゴマーク、などを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。デザインを通して情報を伝える表現手段がグラフィックデザインですので、どれも正解と言えそうです。
どの時代においても、過去のデザインからの流れや当時の歴史的事象や人々の慣習・流行によって、それぞれ特徴のあるグラフィックデザインが営まれてきました。歴史を溯りながら、このグラフィックデザインの主流がどのように変移してきたのかを見てみましょう!
『グラフィックデザイン〜視覚デザイン』という言葉が使われだしたのは、ここ最近のことです。いまや日常で頻繁に使われている『デザイン』という言葉ですが、もともとの語源はラテン語の『designare』(計画を記号に表す、という意味)からきています。目的を果たすため、または、問題を解決させるためのアイデアを具体的な形にするというのが、『デザインする』本来の意味です。
グラフィックデザインの歴史
古代〜中世
・古代エジプト カルナック神殿の壁画
世界中の至る所で発掘されている当時の生活風景や生活慣習を描いた古代壁画は、なんらかのメッセージを後世に伝えようとした最初のグラフィックデザインではないでしょうか。
jorisvo / Shutterstock.com 【バイユーのタペストリー】イングランド遠征の様子が描かれている。兵士の盾には様々なエンブレムが刻まれている。
長い時間、戦争を繰り返してきた中世ヨーロッパでは、家柄を識別するために「紋章(エンブレム)」が生まれ、代々家系で受け継がれるようになりました。
また、日本でも同様、家系や血統、家柄、地位を表す「家紋」が源平時代から用いられてきました。「紋章」も「家紋」も権威を示すものです。同時に、戦乱の時代には「自分の味方は誰か・敵は誰か」を識別しやすくするため、よりシンプルに変容したそうです。まさに、先にあげた「問題を解決するためのアイデア」の視覚デザインの典型とも言えます。
活版印刷の登場 〜印刷技術の発展
1500年代に入ると、情報を伝えるために生まれた印刷・出版と大きく関わる版画の技術が発展しました。
ルネサンスの三大発明のひとつと言われている、1455年のグーテンベルグの活版による印刷技術の発明は、情報伝達の方法の変化への一大革命です。この発明により、新・旧聖書が印刷され世に出されました。また、もともと僧侶や貴族のための祈禱書などに羊皮紙に手書きされたものから、版画の技術の発展にともなって、トランプのカードやタロット占いの原型となるカードなど、宗教を題材としたものが次々と製作され、印刷物・出版物が民衆の間に広まっていきました。これは後のグラフィックデザインの発展の根本となるたいへん重要な要素のひとつです。
18〜19世紀
ヴィクトリア -Victoria- (1850s – 1900s)
ヴィクトリア女王がイギリスを統治した1837年から1901年にかけて、産業革命による経済の発展が成熟に達したイギリス帝国では、科学・技術の発展にともない、文化面においても特に建築・美術分野にも黄金期を迎えます。
ヴィクトリア朝から名前を取ったこの時期のデザイン様式『ビクトリアン様式』はきわめて装飾的なデザインが特徴です。
作られたポスター、チラシ、パンフレットに見られるグラフィックデザインは、文字を主体にしたものが多く、基本的には左右対称の形をとっています。余白を極端に排除し、絵の中に整頓された文字が埋め込まれているのも特徴です。
アーツ&クラフツ運動 -Arts and Crafts- (1870s – 1910s)
・ウィリアム・モリスによる壁紙デザイン
19世紀の産業革命によって都市への人口の集中化が進み、それまでには考えられないほどの商品が大量生産され供給されると、同時に多くの粗悪品も市場に出回るようになりました。
そんな中、古き良き時代の熟練職人による質の高い工芸品に回帰しようという運動がおこります。これがアーツ&クラフツ運動です。この工芸品への回帰運動はヨーロッパ各地で起こり、後のフランスのアール・ヌーヴォー、ドイツのユーゲントシュティールなど、それぞれ影響を及ぼしながら変化していきます。アーツ&クラフト運動は産業革命をいち早く達成したイギリスよりはじまりました。
生活と芸術を統一することをこの運動の柱とし、主導したさせたウイリアム・モリス(1834年-1896年)は『モリス商会』を成立。装飾された書籍や壁紙、家具、ステンドグラスなどのインテリア製品を製作しました。
手作業の人間らしいデザインに回帰し、モチーフに人間をとりまく自然にも重点を置いています。また、デザインの密度も非常に高く、植物や花、鳥などを使いながらのカーブ曲線を頻繁に取り入れ、描かれているのも大きな特徴です。
アール・ヌーヴォー -Art Nouveau- (1880s – 1910s)
・アルフォンス・ミュシャによるポスターデザイン
先のアーツ&クラフツ運動の流れをくみ、19世紀末から初頭20世紀初頭にかけて、ヨーロッパやアメリカで起こった革新的な芸術運動『アール・ヌーヴォー』が起こりました。
アール・ヌーヴォーはフランス語で「新しい芸術」を意味します。
建築、インテリア・デザイン、家具、ポスター、陶磁器、ガラス工芸、織物、挿絵など、幅広い分野で発展を遂げていきます。幻想的で強い装飾的なスタイルをつくりだすために、日本の浮世絵やゴシック美術、18世紀のイギリスの詩人であり美術家のウイリアム・ブレイクなど、様々な源泉からのモチーフを借用しました。アール・ヌーヴォーの初期の作例は、イギリス建築家アーサー・ヘイゲート・マクマードの作品にみいだすことができます。
1883年にデザインされた彼の自署「レンによる都市の教会」の表題紙のデザインは、つる草のような曲線によって構成され、アール・ヌーヴォーの先駆的作品とされています。
アルフォンス・マリア・ミュシャ(1860-1939)の作品も、このアール・ヌーヴォーを語る上で欠かせないものです。有名企業のポスターやフライヤーのデザインを数多く手がけています。
・アルフォンス・ミュシャによる自転車のポスターデザイン
学問をしたり、労働したり、また自転車に乗るようになった”解放された女性”が増えていくことに男性が危惧を持ち始めたという時代を背景にして、女性解放への流れはデザインにも表れています。流れるような曲線で自然が表現され、抽象的でフラットなデザインが多いことも特徴です。
20世紀前半
Futurism・Dada・Cubism ・Surrealism (1900s – 1930s)
20世紀初頭より、その後始まる第一次世界大戦の影響を受けた様々なデザイン運動が生まれました。世界大戦中に制作されたプロパガンダ・ポスターやチラシの大量デザイン、また、反戦への強い意識をメッセージにしたデザイン活動が各地で繰り広げられた時代です。それぞれの運動を個別にみていきましょう。
未来派 -Futurism-
・ウンベルト・ボッチョーニ “sketch of The City Rises” (1910)
Futurism(未来派)はイタリアで始まった芸術運動です。文学、美術、建築、音楽等様々なジャンルの芸術表現に影響を与えました。スローガンは “過去の芸術の破壊” とし、芸術に必要なのは機械、速度、運動、力、騒音などをモチーフにしてダイナミズムに表現するべきだ、という主張でした。スポーツの振興を賞賛し、デザインを通じて各スポーツへの新しい表現、人間のダイナミックな身体の動きの美しさを表現したのも特徴のひとつです。
1920年代より、戦争は世の中を衛生的にする唯一の手段と主張していた当時のイタリア・ファシズムの政治運動に賛同し、ある意味女性を軽蔑した過激な思想も展開しました。この未来派の主要なアーティストとしてはウンベルト・ボッチョーニ(1882−1916)、カルロ・カッラ(1881−1966)、ジャコモ・バッラ(1871−1958)などがあげられます。
ダダ -Dada-
・マルセル・ドュシャン “Fountain”(1917)
1910年代半ばに、ヨーロッパやアメリカで起こった芸術思想運動がDada (ダダ)です。こちらも、根本にはそれまでの芸術活動の否定にあります。戦争による破壊や殺人といった事象より、「人間には理性はあるのか」、「そもそも、理性とは何なのか」という疑問を人々に抱かせるようになりました。
ダダの思想はこの人間の理性を否定することを主としています。ダダの理性の否定は、作為の否定であり、意識の否定でもあります。意識的に作ったものは否定され、偶然性や無作為の中に美を見出す、という姿勢をとりました。また通俗ですが、「ダダ」という言葉は辞書から適当に選んだ意味のない言葉だそうです。ダダを代表するアーティストとしてはマルセル・ドュシャン(1887−1968)があげられます。
シュールレアリスム -Surrealism-
1924年のアンドレ・ブルトンによる『シュールレアリスム宣言〜溶ける魚』によってシュールレアリスム宣言は始まったとされています。アンドレ・ブルトン(1896−1966)はもともと『ダダ』のメンバーでした。第一次大戦の虚無感から、それまでの価値を全て破壊するというスタンスの芸術活動ダダの運動に1920年前までに参加しました。
しかし、1920年代より、ダダの信奉者らと対立。破壊だけでは何も作れず、ブルトンは「今まで人間が作ってきた制約を離れ、思考の裏側にある無意識の世界を表現しよう」という考えに切り替えました。これが、シュールレアリスムの『理性による支配を受けず、美学や道徳的先入観を無視して記述される』思考です。
Anton_Ivanov / Shutterstock.com サルバドール・ダリの作品と蝋人形 (Madame Tussauds museum in Amsterdam)
シュールレアリスムの先駆けと考えられているのはフレンシスコ・デ・ゴヤ(1746−1828)。その後、サルバドール・ダリやジョアン・ミロらに引き継がれていきます。シュールレアリスムのグラフィック的特徴のひとつに、現実にはあり得ない世界を写実的に描くという点があります。現実世界ではあり得ないものの組み合わせや不思議なキャラクター、ダブル・イメージなどで夢や深層心理下の非現実的な独自な世界を展開します。
また表現手段として、オートマティズム、コラージュ、フロタージュ、フォト・モンタージュなどの様々な技法が用いられました。
・コラージュを用いた制作例
・フロタージュを用いた制作例
・フォトモンタージュを用いた制作例
代表的はアーティスト・デザイナーとして、ダリやミロの他に、ジョルジョ・デ・キリコ(1988−1978)、ルネ・マグリッド(1898−1967)、マックス・エルンスト(1891−1976)、ラウル・ハウスマン(1886−1971)などがあげられます。
キュビズム -Cubism-
tichr / Shutterstock.com パブロ・ルイス・ピカソ (Guernica)
1907年よりパブロ・ルイス・ピカソ(1881−1973)とフランス人画家ジョージ・ブラック(1882−1963)によって始められた芸術運動がCubism(キュビスム)です。『立体派』と訳されます。それまでのグラフィックの『視覚的リアリズム』に対して『概念的リアリズム』を主張し、三次元的の現実社会の概念をグラフィック上二次元的に表現することを目的としました。
つまり、それまでのグラフィック表現が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形をひとつの画面に収める、という表現方法です。これは、俯瞰や主観が入り交じる、幼い子供が描く絵の構成に似てます。
アヴァンギャルド -Avant Garde- (1920s –)
・エル・リシツキー”Beat the Whites With the Red Wedge”(1919)
第一次大戦と第二次大戦の間の時期に生まれた『アヴァンギャルド(avent-garde) )はフランス語で『前衛部隊』を指す言葉です。後に『最先端にたつ人』もしくは、『革新的な試み』や『実験的な試み』をおこなうアーティストを意味するようになりました。
もともと軍事用語であった『アヴァンギャルド』ですが、何かへの攻撃の先頭に立つというような政治的を含んだ挑戦的な姿勢を表し、戦いに挑む気概など戦闘的に表現されてきました。
グラフィックデザインの分野では、ロシアンアヴァンギャルド に目を向ける価値があります。
・マヤコフスキーのポスターデザイン
1910年代初頭にロシアで誕生し、1917年のロシア革命を契機に大衆に広まった未来派、構成主義を中心とした前衛芸術ブームの総称です。フォト・モンタージュやタイポグラフィーなどの前衛的手法が駆使された斬新なポスターが作られました。
また、当時ロシアの印刷技術はリトグラフ印刷という、限られたカラーしか使えない印刷方法で、だいたい4−5色というのが基本でした。その為、限られた色を大胆に使った作品が多く見られました。限られた色を逆手に使った作品は今見てもとても斬新です。幾何学模様が多用され、大きく太いフォントを使って画面いっぱいに描かれているのも特徴のひとつです。
1960年代がアヴァンギャルドの全盛期でした。保守化が目立った1980年代には、「”前衛”は(もう)古い」と見なすような風潮が見られましたが、21世紀に入ってから再評価され、復活してきています。
アール・デコ -Art Deco- (1920s – 1930s)
・Federal Art Project ポスターデザイン
アール・ヌーヴォーの時代に続き、フランスで生まれたこのアールデコ・デザインは、ヨーロッパ、アメリカを中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行しました。大量生産にむかず、デザインに凝りすぎたアール・ヌーヴォーに代わり、簡潔さと合理性を目指した生産と消費を活性化させるためのデザインです。すっきりとした幾何学的な線とパターン化された模様が一番の特徴です。
また、フランスの芸術家が伝統的な画法を復活させつつ、古典と植民地の文化を組み合わせた、他に類を見ない独特なデザインも多数存在します。アドルフ・ム−ラン・カッサンドル(1901−1968)、レイモン・サヴィニャック(1907−2002)、シャルル・ルポー(1892−1962)の作品が有名です。
アールデコは、規格化された形態を重視するモダニズムの論理に合わないため、流行が去ると悪趣味な装飾と捉えられ、第二次世界大戦の勃発とともに衰退します。しかし、1960年代にはパリ装飾美術館にて『25年代』が開催、アールデコ・スタイルがリバイバルを遂げ、その通俗的な商業デザインは、後のポップ・アートに大きな影響を与えることになります。
バウハウス -Bauhaus- (1920s – 1930s)
・Bauhaus Design Exhibitionのポスターデザイン (1923)
バウハウスは1919年、ドイツのワイマールに設立された美術と建築に関する総合的な教育を行った学校です。ドイツ・ナチス政権により1933年に閉校されるまでわずか14年間でしたが、その建築、工芸、写真、デザイン活動は、現代美術に大きな影響を与えました。
Claudio Divizia / Shutterstock.com バウハウス デッサウ校
バウハウスは優れた機能性とデザインの建築、家具を生み出しました。初代校長で建築家のヴァルター・グロピウス(1883−1969)は、閉校後アメリカのハーバード大学へ就任し、教師陣や生徒の多くがアメリカへ移住しました。
グラフィックの分野では、幾何学的にきちんと整頓された数々のタイポグラフィー作品、フォントの美しさやエレガントな配色を施したポスターなどが多数残されています。現代グラフィック界はこのバウハウス運動から大いに影響を受けている、といっても過言ではないでしょう。
芸術と産業の融合性を謳ったこのバウハウスの定義は、現代デザインの本質にあるかと思います。色の概念を教えたパウル・クレー(1879−1940)、素材と形、バランスを説いたジョゼフ・アルバース(1888−1976)、心理学と知覚を使った新しい色の手法を確立し自身のセオリーの展開を享受したワリシー・カンディンスキー(1866−1944)、ポスターデザインやタイポグラフィーデザインの表現方法や創作方法を享受したヘルベルト・バイヤー(1900−1985)、モホリ・ナジ・ラースロー(1895−1946)等、デザイン界のトップレベルの講師陣で構成されました。
ミッドセンチュリー -Mid-century- (1940s – 1960s)
・ソール・バスの映画ポスターデザイン”或る殺人”
『ミッドセンチュリー』とは「一世紀の中間」という意味です。第二次世界大戦が終わり、幸福と繁栄の時代に突入したアメリカでこのミッドセンチュリーデザインが生まれました。
明るく、カラフルなデザインになっており、消費者の消費欲を掻きたてられる図柄が多く、活発さと気まぐれさを上手く融合させているのが特徴です。
ミッドセンチュリーに活躍したグラフィックデザイナーはニューヨーク出身のソール・バス(1920−1996)があげられます。ソール・パスは日本企業のデザインも多数手がけています。
参考記事 : ソール・バス (Saul Bass) ー コマーシャルアートのピカソと呼ばれた巨星
20世紀後半
ポップアート -Pop Art- (1950s – 1980s)
JStone / Shutterstock.com アンディ・ウォーホルの蝋人形と作品たち
ポップ・アートは1960年代初頭から中盤に発展した現代美術の芸術運動です。
大量生産や大衆消費社会をテーマとし、雑誌、広告、商品、コミック、TV、映画を通して様々な作品が作られました。アンディ・ウォーホル(1928−1987)、ロイ・リキテンスタイン(1923−1997)、ジェームス・ローゼンクイスト(1933-)、トム・ウェッセルマン(1931-)などが相次いで個展を開催した1962年がアメリカにおけるポップ・アートの創成期にあたります。
Radu Bercan / Shutterstock.com ロイ・リキテンスタインの作品たち
第二次大戦で国土が戦場とならなかったアメリカでは、戦勝国として経済活動が促進され、1950年代後半には大衆的な消費社会が確立されたことや、西ヨーロッパにもアメリカ型の大衆文化や消費社会の影響が流入し、ポップ・アートの源流となる社会的基盤が形成されたことが背景にあります。映画や漫画などの大衆文化のように観客の心を一瞬にしてつかむ強い魅力を持ち、当時のアメリカを物語る大量資産・消費をテーマにしたため、アメリカの豊かさを賛美する魅力的な芸術、として歓迎されました。
現代でもデザインに大きな影響を与え、フライヤーやポスター等で様々なオマージュを生んでいます。
・ロイ・リキテンスタイン風のデザイン
・アンディ・ウォーホル風のデザイン
スイススタイル -International Typography Style- (1950s – 1980s)
・H.ベルトルードがデザインしたフォント
第二次世界大戦のあと、スイスのデザイナーがアヴァンギャルドのテキストと写真の使い方を変化させ、シンプルさと正確さを追求した結果、生まれたのがこのデザインです。デザインを使って個性を表現するのではなく、コミュニケーションのツールとして使ったことで、ユニバーサルなデザインとなっています。
清潔感や可読性、客観性を追求したグラフィックデザインで、様々な様式を作り上げてきました。左右非対称のレイアウトやグリッドの利用、後のヘルベチカ(1957年に誕生)の原型となるブラックレターのサンセリフ書体の利用。
・世界的に有名な書体”ヘルベチカ”は、今もデザイナーたちに愛用されている
また、テキストの左揃えの文字組方法を使い、大きな写真とシンプルなフォントで構成されたチラシやポスターが多く見られました。
サイケデリック -Psychedelic- (1960s – 1970s)
ドラッグが急激に広まっていったこの時代は、戦後に生まれた人々がアメリカの物質主義と保守主義に疑問を持ちはじめました。若者が革命的な動きを起こした時代に生まれたのがこのサイケデリック・デザインです。
中心となったのは、サンフランシスコのヘイトアシュベリー地区で共同生活を送りヒッピーと呼ばれることになった若者のコミュニティーでした。この時代の象徴的な音楽フェスティバル、コンサート、イベントなどでは、ドラッグと相まってトランス状態を想起させるサウンドがもてはやされ、デザイン界でも陶酔感を表現したものが多々制作されました。
刺激的な極彩色を多用し、ぐるぐると渦巻く線をふんだんに使った、まさにサイケデリックなデザインが特徴的です。
ポストモダン -Postmodernism- (1970s – 1980s)
伝統性・保守性に反抗して生まれた未来派、キュビズム、シュールレアリズム、ポップ・アート等を総称して『モダニズム』と呼びますが、そのあとに生まれたのがポストモダンです。歴史的な様式への決別、手仕事や美術工芸からの脱却、装飾を廃すること、産業との接点を見出し、それに相応しいスタイルを確立することをテーマにしたデザイン活動です。
堅苦しさなどは一切排除し、派手で主張の強いデザインが特徴とも言えます。ポストモダンのデザイナーとしてイタリアのデザイン集団『メンフィス』があります。デザイナーのエットレ・ソットサスを中心に結成され、独自の形態、明るい色彩、無国籍なデザインが評価され、知名度が高まりました。
ハイカルチャーとポップカルチャーの融合とも称され、カラフルな色使いで、機能よりも「楽しいデザイン」を優先した、大衆へ向けた意味を持たないデザインとも言われています。
グラフィティ〜ストリートアート -Graffiti – Street Art- (1970s – 2000s)
1970年代にアメリカ、ニューヨークでスプレーやフェルトペンなどを用いて壁や電車に落書きすることからひろまったのがグラフィティです。
しかし、その歴史はもう少し以前まで溯ります。第二次世界大戦中に、アメリカの爆弾工場で働いていたキルロイという人物が、出来上がった爆弾に「Kilroy was here (キルロイはここにいた)」と白いチョークで書いたのが最初だという説があります。
キルロイが誰であったか、ということはさほど重要ではありません。明日には生きていないかもしれない、これまでの生活は破壊してしまうかもしれない、という不安と恐怖な中で、『キルロイ』が自分の存在を何らかの形に託して世の中に刻み付ける、ということがグラフィティのもともとの本質なのです。
kay roxby / Shutterstock.com ・キース・へリング (The Pisa’s Mural)
1980年に入ると、前衛芸術家としてグラフィティアーティストが持て囃されるようにもなりました。もともと以前からアメリカでは存在していましたが、初期のキース・へリング(1958−1990)やジャン・ミシェル・バスキア(1960−1988)などにより世に知られるようになり、世界中に蔓延しました。
このグラフィティには、既にあるグラフィティの上に描くためにはそれ以上に完成度の高いものを作らなければならない、という暗黙のルールがあり、このルールによってグラフィティの美術的な質は高まっていったと言われています。
また、ストリート・アートとは、都市空間や路上などの公共空間で行なわれる表現を総称します。1970−1980年代のニューヨークで発展したグラフィティは、独特にデザインされた名前(タグネーム)を主にスプレー塗料やマーカーを用いて街中に描く、というものだったのに対し、ストリート・アートはグラフィティ文化を経由しながらも、より広い社会的・政治的メッセージ性、都市・建築などの空間に対する意識、現代美術のコンテクスト、さまざまな素材やテクニック、アイデアなどを取りこみながら実践される一連の文化的動向を指します。
1980−1990年代には、グラフィティの発展形として、しばしば「ポスト・グラフィティ」という言葉も存在しましたが、局所的な現象に留まりました。
2000年代に入り、時にはインターネットなどの情報環境も積極的に利用するような複雑で多様な表現手段が急増していくにつれ、より広い意味をこめて「ストリート・アート」という言葉が主流になっていきます。
・たくさんの傘で通りを彩る(スペイン マドリード)
・奥行きが感じられるストリート・アート (アメリカ フィラデルフィア)
はじめはサブカルチャーとして扱われてきたストリート・アートですが、2002−2003年になると、メディアでも頻繁に取り上げられるようになり、このころからストリート・アートは一種の芸術活動として認知せれるようになりました。2008年にはロンドンの国立近現代美術館テート・モダンで「ストリート・アート」というタイトルの展覧会が行なわれており、アート・デザイン分野で確立した位置を作り上げています。
Ryan Rodrick Beiler / Shutterstock.com
正体不明のアーティストであるバンクシーは、ストリート・アートの代表的存在と言えます。
chrisdorney / Shutterstock.com
バンクシーのゲリラ的な作品は、れっきとした犯罪であり、削除される対象だったのですが、作品が認められ高値で取引されるようになると、このように保護されるようになりました。
まとめ
グラフィックデザインの歴史を、ざっと追ってみました。
いまや日常生活で頻繁に目にするポスターデザインやチラシデザインですが、どの時代においても、それぞれのデザインは、時代背景に基づいた制約や流行、そして社会的ニーズに対応して生まれてきたことがうかがえます。
何気なく手に取る印刷物にも、使用フォントやカラー、モチーフの配置の仕方、表現方法など、たくさんの要素が含まれています。現代の人々が求めているグラフィックデザインとはどうあるべきなのか、という問いの答えは存在しないと思います。しかし、グラフィックデザインの歴史を認識することは、その解答へ導く手がかりのひとつになるのではないでしょうか。
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