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クラブイベント

クラブフライヤーで食べてたあの頃と、いま僕が見つめる新しい風景

あの頃はフライヤー制作で生きられた。

僕はフリーランスのデザイナーとして、もうそこそこ長いことやっています。独立前後の頃、ちょっとした追い風に乗って、クラブイベントのフライヤー制作だけで食べていける時代がありました。驚くほど仕事が舞い込んできて、常に何らかのパーティーやイベントがあって、そのたびにフライヤーのデザインが必要とされていたんです。

あの頃は、特に東京・大阪周辺だと、クラブイベントが華やかな盛り上がりを見せていたように思います。平日だろうが週末だろうが、何かしらの音楽イベントが行われ、フロアで光る照明に呼応するように、僕は日々パソコンの前で色鮮やかなビジュアルをひねり出していました。

「このままいけるんじゃね?」と浮かれた日々

そんな景気の良い時代の真ん中で、僕は不覚にも「お、これずっと続くんじゃない?」と調子に乗ってしまったことがあります。フリーランスの不安定さは嫌というほど聞かされてきたけれど、「このクラブ業界で名を馳せて食っていけるのでは」と根拠のない自信がうっすらとありました。

もちろん、後から振り返ってみると、これは非常に危うい発想でした。その頃、周囲の経験豊富なデザイナーから「特定のジャンルだけでずっと食べていくのは難しい」と忠告も受けた気がします。でも当時の僕は耳を貸さなかった。「こんなに仕事があるのだから、必要なのは腕を磨くことだけだ。マーケットは豊富にあるし、僕に依頼をしてくれる人たちがたくさんいるんだから問題ない」と思い込んでいました。

 

「危うさ」に気づく瞬間

クラブ

それから数年も経たないうちに、クラブイベントの数が徐々に減り始めました。あるいは予算が削られ、フライヤー制作にかけられるコストがだんだんとシビアになってきたんです。風営法の「ダンス規制」も大きな影響を与えた時期でした。

同時に、SNSやウェブ広告が主流になり、紙のフライヤーに頼らないプロモーション手法が当たり前になっていきました。いくらデザインに精魂を込めても、そもそも配布する場が減っていく。店舗側も「今回はフライヤー無しでSNS告知だけでいいか」となってしまう。そうして、僕がよりどころにしていたクラブフライヤーという市場自体が細くなっていったんです。

そのとき、ようやく「このままいけるんじゃない?」と浮かれていた自分が、いかに脆い基盤に立っていたか、はっきりと理解しました。時代は変わる、需要は変化する、そして僕はいつまでも同じ場所で腕組みしていてはいけない、という当たり前のことにようやく気がついたんです。

良い悪いではなく、ただ「移ろうもの」

僕はその変化を嘆くつもりはありません。もちろん、当時の勢いを懐かしむ気持ちはありますが、それが良いとか悪いとか、そういう話でもないと思うんです。

時代は動く。その動きに対してデザイナーとして適応できるかどうかが問われるだけなのかなと思います。クラブフライヤーの世界は衰退したわけではなく、むしろ形を変えて他のイベントやメディアへと溶け込んでいったのかもしれません。もしかしたら、僕が知らない場所で新しいビジュアル表現の需要が生まれているかもしれない。

そう考えると、「何事も移ろうものなんだなあ」としみじみ思います。いつまでも同じ仕事があると思い込むことが一番危険で、そこにしがみついてしまうと時代から取り残されてしまう。良い悪いという価値判断よりも、「今ここで求められていることは何なのか?」という現実に向き合う姿勢こそが大切なんだと感じます。

新しい仕事に飛び込む勇気

クラブフライヤー一本でやっていた頃は、自分の得意分野が定まっている安心感がありました。でも、時代が動いたなら、こちらも動けばいいわけです。僕はそこで意を決して、ジャンルを変えてみたり、新しいツールを学んだり、ウェブや動画、SNS用のバナー広告、紙媒体でもパンフレットやパッケージデザインなど、多方面に手を伸ばしました。

最初は「自分には向いていないんじゃないか」「フライヤー以外の仕事でちゃんとやっていけるのか」と恐る恐るでしたが、やってみると意外と面白い。今まで触れなかった世界は、ちょっと不安も伴うけれど、同時に新鮮な刺激を与えてくれるんですよね。そうして僕は、少しずつでも自分の守備範囲を広げてきました。

 

「専門家」より「柔軟な職人」へ

柔軟性

世の中には特定のジャンルで一生食べていけるほどの強いブランド力を持ったデザイナーがいます。例えば、タイポグラフィの鬼才とか、超絶的なイラストレーションスキルの持ち主とか。そういった分野で突き抜けている人は、確かに時代の波に左右されにくいかもしれません。

でも僕は、特定のジャンルで天下を取れるほど鋭い武器を持っているわけではありません。だからこそ、柔軟さが必要になってくるんだと思います。「これがダメならあれにトライしよう」「今流行っているあの表現はどんな方法で生み出されているんだろう」といった具合に、守備範囲を広げることが自分に合っている気がするんです。

変わることは悪くない

クラブフライヤー全盛の頃、「これでずっと食べていける」と思い込んでいた僕は、言い方は悪いけれど、当時は少し天狗になっていました。時代は自分に味方している、なんて錯覚を起こしていたんです。

でも、その幻想がはがれ落ちた今、「変わるっていうのは、そんなに悪くないな」と感じています。落ちてきた仕事は、また別の形で現れることもある。面倒くさそうに見える分野にも、いざ踏み込んでみれば自分ならではの表現ができるかもしれない。

フリーランスとしての心構え

フリーランスは、常に「この先どうなるか分からない」状態と向き合っています。だからこそ、一つの分野に固執せず、適度な危機感と柔軟性を持っておくことが大事だと、今になってひしひしと感じます。

あの頃のクラブフライヤーづくしの日々は、確かにキラキラしていた。だけど、どんな市場もいつかは拡大したり縮小したり、方向性を変えたりするものです。そのときに柔らかく身を翻せるかどうか。それがフリーランスとして生き延びる、いや、生き生きと働き続ける鍵なのだと思います。

 

新しい風景を見つめて

新しい風景

振り返れば、クラブフライヤー全盛期は一つの美しい季節だったのかもしれません。でも季節は移ろいます。桜が散ったら、新緑が萌え、夏が来て、また秋がやってくる。

同じように、デザインの世界も動いていく。僕は今、新しいジャンルや異なる領域に触れながら、新鮮な風景を楽しんでいます。決して悪い気分じゃない。むしろ、次にどんなデザインの波が来るのか、どんなスキルを磨けば自分らしく活躍できるのか、ワクワクさえしているかもしれません。

これから先、何が起きるかは分からないけれど、柔軟でいる限り、生き残れる。そう信じて、また新しいことに取り組んだり、未知の案件に向き合おうと思います。

 

昔はクラブイベントのフライヤーだけでご飯が食べられるような時代もありました。その時は「お!このままいけるんじゃね?」とか調子良く思ってしまうんですよね。その考えは最も危険です。今は仕事のジャンルもすっかり変化しました。良い悪いではなくて、移ろうものなのかなと。

X (Twitter) – Feb 1, 2020



この記事は過去の自分のX(Twitter)のポストを元に、編集しています。

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グラフィックデザインを中心とした小さなデザイン事務所を経営しています。スタッフや外部のデザイナーさん・ライターさんに助けられながら、コツコツと地道に仕事をする日々が気に入っています。パッケージメーカーのデザイナーとして新卒入社→美容系のベンチャーに転職→家庭用品メーカーに転職...という流れを経て、その後独立しました。フリーランスデザイナーとして、10年以上の経験から学んだことや雑記をブログにしています。情報発信が趣味に近く、それが興じてPhotoshop関連の本を出版したり、noteを執筆したりしています。