気持ちと色
母の容態が少しずつ悪くなる頃、僕は時間を見つけては、母に会いに電車で最寄駅まで行き、タクシーに乗って母の入院する病院へ通っていました。
芳しくない母の様子を見るというのは、決して楽しいものではありませんでした。その足取りはとても重く、初秋の青空とは対照的なものでした。
僕が事務所でデザインをこなす時間は、ある意味生活をかけた戦いです。ただ、生死と向き合う母の姿は、それよりも圧倒的な現実としてグッと心の中に入り込んで来て、自分の”今日の昼飯は何にしよう”と考えたりするライトな現実が空想のように感じられました。
頭は冴えているし、お客さんとの取引も問題ない。でも何か、完全に目が覚めていないような、セピアの景色にいるような、不思議な感覚に包まれていました。
病院へと向かう道中はその感覚が強くなるのですが、空だけはいつもハッキリ青色に見えていて、その時間だけは自分のライトな現実に戻れる気がして、よくタクシーの窓からぼーっと空を眺めていました。
残念ながら母は冬を迎えることなく、母という存在以外は、徐々に元のリズムへと戻っていきました。
今日、その病院へ僕は軽い足取りで向かいました。妹が第一子を出産し、初の面会でした。赤ちゃんのいる部屋に差し込む陽の光まで、誕生を祝福してくれるように見えて、同じ建物とはとても思えませんでした。赤ちゃんって本当に赤いんだなーと、飽きずに眺めていました(笑)
希望や絶望という言葉がありますが、”望み”というのは色として目の前に現れるんだと実感しました。絶望は色が絶たれることで、希望は色に溢れることなんだなと。景色は心のフィルターを通って視覚化されるから、見えている景色は人によって全然違う。人生”色々”とはよく言ったものですね。
カラフルな人生を送りたいものです。