
苦労ばかりが目に入る時代
SNSを眺めていると、大人の大変さばかりが流れてきます。お金の苦労、仕事のプレッシャー、将来への不安、人間関係の疲弊。リアルな体験談として語られるそれらは、嘘ではないし、大事な情報でもあります。
ただ、それが毎日のように、大量に、しかも切り取られた形で目に入ってくると、どうなるか。まだ大人になっていない人たちが「大人って大変そう」「社会に出るのが怖い」と感じるのは、ごく自然な反応だと思います。
苦労を知っておくこと自体は悪くない。でも、苦労だけを先に知ってしまうのは、ちょっともったいない気がしています。
かつて大人は「よくわからないもの」だった

僕が子どもの頃、大人の世界はもっと曖昧でした。親が仕事で何をしているかよくわからない。近所のおじさんがどうやって暮らしているかも知らない。見えないからこそ、なんとなく「大人になったらいろいろできるようになるらしい」というぼんやりした期待がありました。
車を運転できる。好きなものを自分で選んで買える。夜更かししても怒られない。行きたい場所に自分の判断で行ける。そういう素朴なワクワク感は、情報が少ないからこそ成り立っていた部分があります。
今は違います。大人のリアルがSNSを通じて丸見えになっている。手取りがいくら、家賃がいくら、奨学金の返済がいくら。数字つきで「現実」を突きつけられたら、ワクワクできなくなるのも無理はありません。情報にアクセスできること自体は良いことのはずなのに、結果として「知りすぎて怖くなる」という逆転が起きている。これはなかなか皮肉な話です。
しかも厄介なのは、そうした情報が「善意」で発信されていることが多い点。「若いうちに知っておいたほうがいい」「自分は知らなくて苦労したから」という親切心から来ている。悪意がないぶん、受け取る側も素直に吸収してしまう。結果として、まだ何も始まっていないのに、もう疲れている。そんな状態になってしまっている人も少なくないように感じます。
情報は正しい、でも「順番」がおかしい
誤解のないように言っておくと、SNSで語られるお金や仕事の苦労は、ほとんどが事実です。社会に出れば理不尽なこともあるし、お金の問題は常につきまとう。それを知ること自体には意味があります。
問題は、知る「順番」だと思っています。
料理で言えば、レシピの失敗談を100個読んでから初めてキッチンに立つようなもの。失敗への警戒心は十分だけど、「作ってみたい」という気持ちはどこかに消えてしまっている。まず一品作ってみて、焦がして、「次はうまくやろう」と思う。その順番のほうが、料理を好きになれる確率は高いはずです。
大人になることも似ていて、体験する前にネガティブな情報だけが積み上がると、最初の一歩がどうしても重くなります。情報が間違っているわけではないけれど、タイミングと量の問題として、今のSNSはバランスを欠いているように見えます。
大人にしかない「小さな自由」

では、大人の良いところは何か。壮大な話ではなく、もっと小さなことでいいと思っています。
平日の昼間にふらっとカフェに入る。気になっていた街を、予定も決めずに歩いてみる。自分で稼いだお金で、誰にも相談せずに本を買う。金曜の夜、何の予定もないことを贅沢だと感じる。そういう些細な自由が、大人にはあります。
仕事の場面でも同じです。自分のアイデアが形になる瞬間。誰かに「助かりました」と言われる瞬間。難しい案件をなんとか乗り越えた後の、静かな達成感。こうした手触りのある実感は、実際にやってみないと得られません。
SNSでは「大変だった話」のほうがシェアされやすい構造があります。共感を呼ぶのは苦労話で、「今日は穏やかでいい一日でした」は誰の目にも止まらない。結果として、大人の日常に散らばっている小さな良さは、可視化されないまま埋もれていく。楽しい瞬間は静かに消費されて、しんどい瞬間だけがコンテンツとして残る。この非対称さが、大人の印象を歪めている気がします。
「見せ方」が偏っているだけ
僕が思うのは、大人が大変になったわけではなく、大変な部分の「見せ方」が上手くなりすぎたということ。SNSは感情を増幅させる装置としてとても優秀です。不安や怒りや疲弊は拡散されやすく、穏やかな満足は流れていきやすい。
昔の大人も同じように苦労していたはずです。ただ、それが子どもの目に触れる機会は今よりずっと少なかった。見えなかったから怖くなかった、というだけの話かもしれません。
だからSNSをやめろとか、若い人は見ないほうがいいとか、そういう話をしたいわけではありません。ただ、流れてくる情報が「大人の全体像」ではないことは、どこかで意識しておいていい。苦労は本当だけど、楽しさも同じくらい本当です。どちらか片方だけを見て判断するのは、映画の予告編だけ見て「つまらなそう」と決めるのに似ています。本編には、予告に載らなかった良いシーンがたくさんあります。
ワクワクは取り戻せる
大人になることへのワクワク感が薄れているとしたら、それは大人が本当につまらなくなったからではなく、つまらない面ばかりが先に届いてしまっているから。
自分で選べること。自分で決められること。自分の力で誰かの役に立てること。失敗しても、自分の意思でやり直せること。大人にはそういう楽しさが、地味だけど確かにあります。派手ではないけれど、日々の中にじわっと広がるような充実感。それは、実際に大人をやってみないとわかりません。
苦労をなかったことにする必要はありません。でも、それと同じ熱量で「大人も悪くないよ」と言える人がもう少し増えたら、見える景色は変わる気がしています。少なくとも僕は、大人になって良かったと思う瞬間が、それなりにあります。その実感を、もっと気軽に口にしてもいいのかもしれません。
今って、SNSを通じて苦労が可視化され過ぎているのかもしれませんね。お金・責任・将来の不安…そんなことばかり見せられたら、大人になるワクワク感なんて無くなるのでは。間違いではないし、大事なことには違いないけれど、一気に見せられると流石に。
X (Twitter) – Jun 14, 2022



