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海

僕には、忘れられない色の記憶があります。それは、物心ついて初めて親に連れて行ってもらった、夏の海の色。

あの日の海は、なぜあんなに青かったんだろう?

目の前に広がる、どこまでも続く青。キラキラと乱反射する太陽の光。当時の僕が知っているどんな青色とも違う、深く、鮮やかで、少し怖いくらいに美しい青でした。

それから大人になるまで、何度か海を見てきました。

でも、不思議なことに、どんなに綺麗な海を目の前にしても、記憶の中にある「あの日の青」を超えるものはありません。写真を見返しても、ごく普通の日本の海の風景。記憶の中の青とは、明らかに何かが違います。

よく「思い出は美化される」と言います。きっとそれも一因なのでしょう。けれど、デザイナーとして色や形を扱う仕事をする中で、最近は少し違う考え方をするようになりました。

もしかしたら僕たちは、ありのままの世界を見ているわけではないのかもしれない。 「見る」という行為そのものが、極めて個人的で、創造的な営みなのではないか、と。

 

僕たちの脳は、高性能な現像ソフト

少し専門的な話に聞こえるかもしれませんが、シンプルに考えてみましょう。

僕たちが何かを「見る」時、まず眼というレンズが光の情報を集めます。その情報は電気信号に変換され、脳へと送られます。ここまでは、カメラがレンズで光を集めて、イメージセンサーで電気信号に変えるプロセスとよく似ています。

面白いのは、ここからです。脳に送られた信号は、そのままモニターに映し出されるわけではありません。

脳は、送られてきた信号を、過去の膨大な記憶や知識、その時の感情、先入観といったデータと瞬時に照らし合わせます。そして「これはリンゴだ」「これは夕焼けだ」と意味付けを行い、僕たちが認識できる「像」として立ち上げるのです。

このプロセスは、まるでカメラで撮影したRAWデータを現像ソフトで調整する作業そのものです。RAWデータは、光の情報が詰まっただけの、いわば素材。それを現像ソフトに取り込み、明るさや色の鮮やかさやコントラストを調整して、初めて僕たちが「写真」として認識できる一枚の絵が完成します。

つまり、僕たちの脳は、一人ひとりにインストールされた超高性能な現像ソフトのようなもの。眼から入った「素材」を、自分だけのパラメータで「現像」して、初めて世界を認識している。そう考えると、僕たちが普段「見たままの景色」と信じているものは、実はかなり主観的な「脳内現像後」の景色だと言えるのかもしれません。

 

感動が彩度を上げ、記憶が輪郭を際立たせる

脳内現像

この「脳内現像」という考え方で、冒頭の海の記憶を振り返ってみます。

なぜ、あの日の海はあんなにも青く感じたのか。

それはきっと、「初めて海を見る」という強烈な感動が、僕の脳内現像ソフトのパラメータを思い切り動かしたからです。期待と興奮で、彩度のスライダーがグッと右に動く。打ち寄せる波の音と潮の香りが、コントラストをくっきりとさせる。親と手を繋いで感じた安心感が、景色全体に暖色系のフィルターをかける。

そうやって、五感で得たすべての情報と感情が総動員されて現像されたのが、あの特別な「青」だったのではないでしょうか。それは物理的な「青」というより、僕の感動そのものが色になったもの。だからこそ、他のどんな海も敵わない、僕だけの絶対的な青として記憶に刻まれている。

こうした経験は、誰にでもあるはずです。心から美味しいと感じた料理は、記憶の中でより一層色鮮やかだったり。大切な人と過ごした場所の風景が、なぜか柔らかい光に包まれて見えたり。

感情の揺れ動きが、僕たちの世界の「見え方」を実にダイナミックに変えていく。僕たちは毎日、無意識のうちに自分だけの「レタッチ」を施しながら世界を眺めているのです。

写真のレタッチは、感動を共有するための「翻訳」

さて、ここでやっと本題の「レタッチ」の話に繋がります。

特にSNSなどでは「レタッチ=嘘」「加工は悪」といった意見を時々目にします。もちろん、事実を捻じ曲げるような悪意のある改ざんは論外です。報道写真のように、客観的な事実を記録することが求められる分野もあります。

でも、僕がここで話したいのは、表現としてのレタッチについてです。

一枚の写真を撮った時、カメラという機械が記録できるのは、あくまでその場の光の物理的な情報だけです。撮影者がその風景を前にして感じた、「うわ、綺麗だ!」という鳥肌が立つような感覚や、肌を撫でる風の心地よさ、心が震えるような静けさといった「感動」そのものは、残念ながら写真には写り込みません。

写真のレタッチとは、その写しきれなかった撮影者の「主観的な真実」を、見る人に伝わるように視覚化する作業だと僕は考えています。

それは、感動の「翻訳」作業と呼べるかもしれません。あの時感じた夕焼けの燃えるような赤を、写真の上で再現する。記憶の中にある海の青に、少しでも近づけようと試みる。冷たく澄んだ冬の朝の空気を、青みがかったトーンで表現する。

これは事実を偽る行為でしょうか。

僕は、むしろ逆だと思います。自分の心に正直になり、その感動を誰かと分かち合うための、とても誠実な表現手法の一つではないでしょうか。

 

あなたの「見え方」は、あなただけの真実

大切なのは、自分の「見え方」を信じて、面白がることではないでしょうか。

他の人には何でもない道端の雑草に、自分だけの物語や美しさを見出したっていい。今日の空の色が、自分には特別な意味を持つ青色に見えたなら、それがあなたにとっての真実です。

僕たちは、知らず知らずのうちに「普通はこう見る」「みんながこう感じている」という、世の中の標準パラメータに自分を合わせようとしてしまいます。でも、本来、世界の「見え方」に正解なんてありません。

あなただけの感動の瞬間、心が動いた風景。そのユニークな「見え方」は、誰にも否定できない、あなただけの尊い財産です。

まずは、自分の脳内現像の「クセ」に自覚的になってみる。

自分はどんな時に彩度が高く見えて、どんな時にモノクロームに見えるのか。何に心が動かされ、世界が輝いて見えるのか。それを意識するだけで、見慣れた日常が少しずつ違って見えてくるはずです。

 

世界は、あなたがどう見るかでできている

海

僕たちが見ている世界は、客観的な事実そのものではなく、自分の脳というフィルターを通して「現像」された、とても主観的なもの。感動や感情は、その現像プロセスに大きな影響を与えています。

そして、写真のレタッチは、その脳内で見えた感動的な景色を、他の誰かと分かち合うためのクリエイティブな「翻訳」作業の一つです。

あの夏の日。僕が見た海の青は、紛れもなく本物でした。それは僕の感動が作り出した、僕だけの真実の色。

その宝物のような記憶を誰かに伝えたいと思った時、人は言葉を探し、絵を描き、メロディーを奏で、そして写真を撮って、その色を懸命に再現しようとするのかもしれません。

 

そもそも眼というレンズに入った刺激を電気信号にして、過去の記憶等と照らし合わせたりしながら脳で現像している時点で、既にレタッチされているのでは。
感動で色やサイズが誇張して見える瞬間もあります。当人には紛れもなくそう見えたわけで、レタッチはその感動を他者に共有する手段だと思うなぁ。

X (Twitter) – Oct 24, 2023,

この記事は過去の自分のX(Twitter)のポストを元に、編集しています。

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トミナガハルキ

グラフィックデザイナー/AMIX 代表。独学でデザインを学び、パッケージメーカー→美容系ベンチャー→家庭用品メーカーでのデザイン・広報運営を経て独立。現在は小さな事務所を拠点にASOBOAD等のサービスを運営し、ロゴ・パッケージ・広告物を中心に制作しています。著書『#ズボラPhotoshop 知識いらずの絶品3分デザイン』は各カテゴリでベストセラーを獲得。2020年Adobe Creative Residency選出。ブログでは、10年以上の実務から学んだことや働き方のヒントを等身大の視点で発信しています。