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表現について

その表現は覚悟の上ですか? 風刺とシンボルがもたらすパワーとリスク

街を歩いていたり、SNSを眺めていたりすると、思わず「おっ」と目を引く広告やデザインに出会うことがあります。有名な絵画をパロディにしていたり、どこかで見たことのあるキャラクターに似ていたり。そうした表現は、元ネタを知っている人ならニヤリとできる面白さがありますよね。

一方で、時々「これは、大丈夫なのかな?」と少しヒヤッとするものも目にします。特定の人物や企業を揶揄するような風刺的な表現もその一つです。

風刺や批判のメッセージを伝えるために、多くの人が知っている肖像やシンボルを用いるのは、昔からある古典的な手法です。見る側に共通のイメージがあるので、作り手の意図が伝わりやすく、強いインパクトを生み出せます。

でも、その手軽さと影響力の裏には、見過ごせないリスクが潜んでいます。今回はデザイナーの視点から、この「シンボルを使う表現」が持つ力と、そこに潜むリスクについて、少し考えてみたいと思います。

 

なぜ僕たちは「シンボル」の力を借りてしまうのか

デザインやアートの世界で、既存のシンボルやイメージを引用する手法は、昔からごく普通におこなわれてきました。これを「アプロプリエーション(流用・盗用)」なんて小難しい言葉で呼ぶこともありますが、要は「元ネタありき」の表現です。

なぜこの手法がこれほどまでに強力なのでしょうか。

一つは、コミュニケーションのショートカットができる点です。例えば、リンゴのマークを見れば多くの人が特定のIT企業を連想するでしょうし、白いひげを生やした恰幅の良いおじいさんのイラストを見れば、フライドチキンを思い浮かべる人も多いはずです。

作り手は、こうした誰もが知るシンボルを借りることで、本来なら多くの言葉を尽くさなければ伝わらない文脈や背景を、一瞬で見る人に共有できます。元ネタが持つ歴史やイメージを土台にすることで、より深く、皮肉の効いたメッセージを込めることも可能になるわけです。

そこには、作り手と受け手の間に「わかる人にはわかる」という、一種の共犯関係のような楽しさが生まれます。この「あ、元ネタはあれか!」と気づく瞬間が、表現に奥行きと面白みを与えてくれます。

 

その一線、本当に見えていますか?

ビジネス上の権利

シンボルの力を借りる表現は、確かに魅力的です。でも、その手軽さに惹かれて安易に手を出してしまうと、思わぬ落とし穴にはまることがあります。それが、訴訟をはじめとする現実的なトラブルです。

特に注意したいのが、「肖像権」や「著作権」といった権利の問題。デザインに関わる人間なら、一度は耳にしたことがある言葉だと思います。

肖像権・パブリシティ権

他人の顔や姿を無断で使うことは、プライバシーの侵害にあたる可能性があります。特に有名人の場合は、その人の名前や肖像自体が顧客を惹きつける力を持っていて、経済的な価値と結びついています。これを「パブリシティ権」と呼びます。たとえ風刺目的であっても、許可なく商業利用したり、本人のイメージを著しく貶めるような使い方をしたりすれば、権利侵害を問われる可能性は十分にあります。

著作権

アニメのキャラクターや企業のロゴマークなども、制作者や企業が著作権を持っています。これらを無断でコピーしたり、改変して利用したりする行為は、著作権の侵害にあたります。パロディとしてどこまで許されるのか…という議論は常にありますが、その線引きは非常に曖昧で、最終的には司法の判断に委ねられることも少なくありません。また、著作権とは別に、商標権にも注意を払う必要があるでしょう。

「風刺や批判だから許されるはず」「表現の自由だ」と考える人もいるかもしれません。もちろん、それも大切な権利です。しかし、他者が持つ権利や尊厳を不当に傷つけてまで、その表現を押し通すことが本当に正しいのかは、一度立ち止まって考える必要があるでしょう。

 

覚悟を持って、その表現を選ぶということ

風刺や批判

では、風刺や批判的な表現は、すべて悪なのでしょうか。僕は、必ずしもそうとは思いません。社会の矛盾や権力者の過ちを鋭く突く表現は、時に社会をより良い方向へ動かす力を持つからです。

ここで重要になるのが、冒頭のテーマにもつながる「それを覚悟の上でやっているのかどうか」という点です。

この「覚悟」とは、一体何でしょうか。

それは、単なる開き直りや無知からくる無謀さとは違います。僕が思う「覚悟」とは、次のような思考のプロセスを経ている状態です。

  • リスクの認識:自分の表現が、誰かの権利を侵害する可能性や、法的な紛争に発展するリスクがあることを、明確に理解していること。
  • 批判の受容:自分の表現が社会から、あるいは元ネタのファンから強い批判を浴びる可能性があることを受け入れていること。炎上することも織り込み済みだということです。
  • 強い意志:それでもなお、その表現を通して伝えたい、社会に問いたいという強いメッセージや哲学を持っていること。「この表現でなければ伝わらない」という確信がある状態です。

これらのリスクや批判をすべて受け入れた上で、「それでも自分はこの表現を選ぶ」と判断する。それが、表現者としての「覚悟」だと思います。その覚悟がある人に対して、周りが「やめておけ」と無責任に言うことはできません。その表現の責任は、すべて作り手自身が背負うものだからです。

一方で、こうしたリスクを全く知らずに、「面白いから」「バズりそうだから」といった軽い気持ちで他者のシンボルを安易に利用してしまうのは、ただの思考停止です。それはクリエイターとして、あまりにも無責任な態度ではないでしょうか。

 

デザインと向き合うということ

僕自身、デザイナーとして何かを作る時、この問題は常に頭の片隅にあります。面白いアイデアが浮かんでも、「これは誰かを不必要に傷つけないか」「他者の功績にタダ乗りしているだけではないか」と自問自答することがあります。

安易なパロディや風刺は、瞬間的な注目を集めるかもしれません。しかし、それは多くの場合、他人が長い時間と労力をかけて築き上げてきたブランドやイメージの上に成り立っているものです。その土台を借りずに、自分のアイデアやオリジナリティで人の心を動かすことも、クリエイターの仕事だと僕は思っています。

もちろん、クライアントからそうした際どい表現を求められる場面もあるかもしれません。その時は、プロとしてきちんとリスクを説明し、代替案を提示するのも大切な役割です。クライアントを危険から守り、より本質的で持続可能なデザインを提案すること。それもまた、デザイナーに求められる誠実さだと思います。

表現の世界は、完全な自由と厳しい制約の間で常に揺れ動いています。その中で、僕らは自分だけの答えを見つけていかなければなりません。

 

風刺や批判に肖像やシンボルを用いるのは古典的な手法だと思うのですが、基本的には訴訟などの別の争いを生む危険を孕んでいて、「それを覚悟の上でやっているのかどうか?」の自覚の有無は大事かなと思います。リスク背負って表現上必要だと思うなら、周りとしてはそれ以上何も言えないので。

X (Twitter) – May 25, 2021

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グラフィックデザインを中心とした小さなデザイン事務所を経営しています。スタッフや外部のデザイナーさん・ライターさんに助けられながら、コツコツと地道に仕事をする日々が気に入っています。パッケージメーカーのデザイナーとして新卒入社→美容系のベンチャーに転職→家庭用品メーカーに転職...という流れを経て、その後独立しました。フリーランスデザイナーとして、10年以上の経験から学んだことや雑記をブログにしています。情報発信が趣味に近く、それが興じてPhotoshop関連の本を出版したり、noteを執筆したりしています。